被爆2世として願うこと
投稿者: yaenanae01 投稿日時: 2004/01/20 08:27 投稿番号: [12015 / 44985]
くどいかもしれぬ、と思いながらも、本トピを閲覧されている方々の中に、私と同じ被爆2世、あるいは3世の方が居られる可能性に思い当たり、もう一つ、付け加えておくことにしました。
私が、被爆2世、3世に関する正確なデータに拘る理由の一つに、各人の結婚の際に起こり得る事柄への思いがある。
被爆地の者同士の結婚であれば、昨今は、被爆2世であろうが、3世であろうが、さほど問題にはならぬだろう。(なったという話を、寡聞にして知らない)だが、他所の土地の人と結婚する場合には、そうもいかぬ。私自身、他の土地の者を連れ合いに選んだ故、結婚の際に、先方から被爆問題を持ち出されるのではないか、と、危惧の念を打ち消せなかった。
先方の親と会う前に、研究者より、
「被爆2世、3世への原爆の影響については、確実な事は何も言えない」
との言は得ていたが、この種の問題については、理屈よりは、感情であれこれが起こる。以上のような文言で、先方の親が納得するかどうか、気懸かりではあった。幸い、この私が居るところでは、このことは問題視されなかったが、私が居らぬところで真実どうであったかは、私には解らない。
風説や偏見というものは、ほんの僅かの扇情的な言葉遣いで、容易に生じ得るものだ。だからこそ私は、無機質ではあっても、慎重に精査された文言や数字に拘る。結婚する折に、私と同じような思いをされた方は、けして少なくはないはずだ。
もっとも、私自身に関して言えば、「被爆2世への原爆の影響に関して、確たる事は言えない」との研究者の言葉が、その後の研究により否定され、医学的に十分取り上げるに値する筋から「被爆2世への原爆の影響は重大である」との研究成果が発表されたとしても、それを受け止める覚悟は出来ている。
第一に、今日明日どうこうなるという話ではないし、
第二に、人間いつかは死なねばならないのだから。
この思いは、我が兄弟とて、相似たものだろう。被爆者の家庭の者として被爆地に育てば、どこかの時点では、「原爆」というものと向かい合わずには済まない。自ら選んで被爆者の家に生まれたわけではないが、だからといって、あの母の人生があって、私達兄弟の人生もあるのだということに、謙虚な感謝は持っているつもりだ。
私が、被爆2世、3世に関する正確なデータに拘る理由の一つに、各人の結婚の際に起こり得る事柄への思いがある。
被爆地の者同士の結婚であれば、昨今は、被爆2世であろうが、3世であろうが、さほど問題にはならぬだろう。(なったという話を、寡聞にして知らない)だが、他所の土地の人と結婚する場合には、そうもいかぬ。私自身、他の土地の者を連れ合いに選んだ故、結婚の際に、先方から被爆問題を持ち出されるのではないか、と、危惧の念を打ち消せなかった。
先方の親と会う前に、研究者より、
「被爆2世、3世への原爆の影響については、確実な事は何も言えない」
との言は得ていたが、この種の問題については、理屈よりは、感情であれこれが起こる。以上のような文言で、先方の親が納得するかどうか、気懸かりではあった。幸い、この私が居るところでは、このことは問題視されなかったが、私が居らぬところで真実どうであったかは、私には解らない。
風説や偏見というものは、ほんの僅かの扇情的な言葉遣いで、容易に生じ得るものだ。だからこそ私は、無機質ではあっても、慎重に精査された文言や数字に拘る。結婚する折に、私と同じような思いをされた方は、けして少なくはないはずだ。
もっとも、私自身に関して言えば、「被爆2世への原爆の影響に関して、確たる事は言えない」との研究者の言葉が、その後の研究により否定され、医学的に十分取り上げるに値する筋から「被爆2世への原爆の影響は重大である」との研究成果が発表されたとしても、それを受け止める覚悟は出来ている。
第一に、今日明日どうこうなるという話ではないし、
第二に、人間いつかは死なねばならないのだから。
この思いは、我が兄弟とて、相似たものだろう。被爆者の家庭の者として被爆地に育てば、どこかの時点では、「原爆」というものと向かい合わずには済まない。自ら選んで被爆者の家に生まれたわけではないが、だからといって、あの母の人生があって、私達兄弟の人生もあるのだということに、謙虚な感謝は持っているつもりだ。
これは メッセージ 12006 (yotaro47j さん)への返信です.
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