サンデー女史へ(言い訳)
投稿者: yaenanae01 投稿日時: 2004/01/15 17:23 投稿番号: [11591 / 44985]
こんにちは。
>ただ、ジャンヌダルクについては本も読んだし映画も見ました。
>それじゃいけませんか?
>あんまり深く突っ込まれる様でしたら、以後彼女の名は出さない様に気を付けます。
なるほど、そう取られたか。私は、件の投稿で既に、
>kenju kouenrin氏が(そしてそもそもの発言者たるサンデー女史が)、「ジャンヌ・ダルク」という言葉に如何なる意味合いを込められたか、もちろん理解しているつもりだ。
>私が言いたいのは、無論、お二人がジャンヌ・ダルクを引き合いに出されることの、適不適ではない。一つの政治的立場が、万人に等しく理解・評価されることなどない、ということの方なのだ。「在日」と一括りにされる程、各々の立場や主張、利害が同質であるとは、とても思えない。
> ならば、各人が各人で、各々の答えを出すべきだ。
と書いた。これで、ジャンヌ・ダルクを貴女が引き合いに出されたことを不適切とは思わない旨、伝わったと思っていたのだが。(どなたかも言われていたが、まこと、言葉遣いとは難しい)
私が、貴女やkenju kouenrin氏の用語を引き継ぐ形でジャンヌを持ち出したのは、彼女が、
「『在日』と一括りにされる程、各々の立場や主張、利害が同質であるとは、とても思えない。
ならば、各人が各人で、各々の答えを出すべきだ」
というそれに続く私の主張を導き出すのに、格好の題材だったからだ。
今後とも、貴女にせよ、その余のどなたにせよ、ジャンヌ・ダルクだろうが、クレオパトラだろうが、お好きな例を引き合いに出されて当然だ。もしそのことでこちらから言いたいことが出来たら、私も遠慮なく申し上げさせて頂く。私から持ち出すことも、あるはずだ。
ここで再度、私の考えを述べておこう。
貴女は、たまたま天の配剤で、20世紀に在日朝鮮人としてお生まれになった1個の女性だ。御夫君と御子達を愛し、その方々のためによかれと思って行動されているお方だ。貴女は、自らの選択で在日になられたのではない。ご自身に課せられたスタートラインを、不本意と思われたこともあるだろう。しかし、それは、我ら日本人とてまったく同様なのだ。
私は、被爆地にいささかの関わりを持つものだ。(広島、長崎のどちらに関わりがあるかは、ここでは述べない)そして、その地で、ある原爆被爆者の女性に知己を得た。被爆者であることから、ご自身は出産を諦め、養子を取られて立派に育て上げられた。まことに、品格優れた、度量の大きい御婦人だった。
貴女がよんどころない次第で今現在重い荷を背負っておられるように、この御婦人も、自らにはなんら非のない事情で、波瀾の人生を送られたのだ。(強調して言うが、在日たる貴女と被爆者たるこの御婦人を同列に論じること自体が、乱暴であることは承知している。だが、ある種の類似は、見出すことが出来るだろう。お二人ともが、「自らの意思」以外の要素で、人生における重大な荷物を背負っておられる、と言う点で)
人間とは、誰もが、自分自身の責任の及ばない所で背中に荷を負わされ、人生を送らねばならない生き物、と私は思っている。だからこそ、自分が負っている荷が如何なる性質のもので、どの程度までは自己努力で軽く出来、どこから先は、どうあがいても軽くは出来ないものなのか、絶えず考えていかねばならないと思う。
貴女が背負っておられる荷について、貴女の努力次第で下してしまうことが出来るのにそれをしないのは努力が足りないせいだ、などと言うやからの言葉に、どうか動揺しないで欲しいと願う。荷を下ろすことは、出来ない。在日であれ、日本人であれ、アメリカ人であれ。軽くするための努力をし続けることが、出来るだけだ。
原爆被爆者とて、様々のことを、同じ日本人からも言われたのです。
>ただ、ジャンヌダルクについては本も読んだし映画も見ました。
>それじゃいけませんか?
>あんまり深く突っ込まれる様でしたら、以後彼女の名は出さない様に気を付けます。
なるほど、そう取られたか。私は、件の投稿で既に、
>kenju kouenrin氏が(そしてそもそもの発言者たるサンデー女史が)、「ジャンヌ・ダルク」という言葉に如何なる意味合いを込められたか、もちろん理解しているつもりだ。
>私が言いたいのは、無論、お二人がジャンヌ・ダルクを引き合いに出されることの、適不適ではない。一つの政治的立場が、万人に等しく理解・評価されることなどない、ということの方なのだ。「在日」と一括りにされる程、各々の立場や主張、利害が同質であるとは、とても思えない。
> ならば、各人が各人で、各々の答えを出すべきだ。
と書いた。これで、ジャンヌ・ダルクを貴女が引き合いに出されたことを不適切とは思わない旨、伝わったと思っていたのだが。(どなたかも言われていたが、まこと、言葉遣いとは難しい)
私が、貴女やkenju kouenrin氏の用語を引き継ぐ形でジャンヌを持ち出したのは、彼女が、
「『在日』と一括りにされる程、各々の立場や主張、利害が同質であるとは、とても思えない。
ならば、各人が各人で、各々の答えを出すべきだ」
というそれに続く私の主張を導き出すのに、格好の題材だったからだ。
今後とも、貴女にせよ、その余のどなたにせよ、ジャンヌ・ダルクだろうが、クレオパトラだろうが、お好きな例を引き合いに出されて当然だ。もしそのことでこちらから言いたいことが出来たら、私も遠慮なく申し上げさせて頂く。私から持ち出すことも、あるはずだ。
ここで再度、私の考えを述べておこう。
貴女は、たまたま天の配剤で、20世紀に在日朝鮮人としてお生まれになった1個の女性だ。御夫君と御子達を愛し、その方々のためによかれと思って行動されているお方だ。貴女は、自らの選択で在日になられたのではない。ご自身に課せられたスタートラインを、不本意と思われたこともあるだろう。しかし、それは、我ら日本人とてまったく同様なのだ。
私は、被爆地にいささかの関わりを持つものだ。(広島、長崎のどちらに関わりがあるかは、ここでは述べない)そして、その地で、ある原爆被爆者の女性に知己を得た。被爆者であることから、ご自身は出産を諦め、養子を取られて立派に育て上げられた。まことに、品格優れた、度量の大きい御婦人だった。
貴女がよんどころない次第で今現在重い荷を背負っておられるように、この御婦人も、自らにはなんら非のない事情で、波瀾の人生を送られたのだ。(強調して言うが、在日たる貴女と被爆者たるこの御婦人を同列に論じること自体が、乱暴であることは承知している。だが、ある種の類似は、見出すことが出来るだろう。お二人ともが、「自らの意思」以外の要素で、人生における重大な荷物を背負っておられる、と言う点で)
人間とは、誰もが、自分自身の責任の及ばない所で背中に荷を負わされ、人生を送らねばならない生き物、と私は思っている。だからこそ、自分が負っている荷が如何なる性質のもので、どの程度までは自己努力で軽く出来、どこから先は、どうあがいても軽くは出来ないものなのか、絶えず考えていかねばならないと思う。
貴女が背負っておられる荷について、貴女の努力次第で下してしまうことが出来るのにそれをしないのは努力が足りないせいだ、などと言うやからの言葉に、どうか動揺しないで欲しいと願う。荷を下ろすことは、出来ない。在日であれ、日本人であれ、アメリカ人であれ。軽くするための努力をし続けることが、出来るだけだ。
原爆被爆者とて、様々のことを、同じ日本人からも言われたのです。
これは メッセージ 11560 (sunday7227 さん)への返信です.
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