平和と和解(2)
投稿者: oixkozo 投稿日時: 2004/01/08 19:07 投稿番号: [11278 / 44985]
この投稿を持って、靖国問題でのなごやんさんとの対話を終わりにしたい。
東京裁判でA級戦犯として判断された人達を合祀している靖国を、
国家を代表する首相が参拝することは、実質上、この裁判を反故にする。
アジア人から見れば、ドイツの首相がヒットラーの墓参りで参拝するのと同じである。
「東条とヒットラーは違う」という論理は、小泉・なごやんさん・私の論理であって、
中国人・韓国人・朝鮮人の論理ではない。
押し付けと言うのは、この論理の押し付けである。
この論理を押し付けないで、敢えて靖国を参拝することは、
ドイツの首相がヒットラーに向かって参拝しても、
フランス人・ロシア人・ユダヤ人は理解してくれと言うに等しい。
東京裁判は国際的な裁判であったのだから、勝手に日本政府の判断で、
これを反故にするようなことは許されない。
靖国を参拝するなという国際法がなくても、
日本政府は東京裁判の精神を尊重する、国際的な道義的義務がある。
私達は、自由な社会で生きていくためには、
近隣の人達との間で守らなければならない最低限のルールというものがある。
他人の権利を尊重しなければ、自分の権利を守ることは出来ない。
国家間の関係でも同じようなことが言える。
日本は、かつて、勝手に、自分のルールを近隣国に押し付け、彼らの主権を奪った。
その結果が、東京裁判になったわけである。
同じ過ちを繰り返さないためには、近隣の国民感情を尊重しなければならない。
この国民感情を尊重することが、主権の放棄だと言うのは、
ちょっと我が儘過ぎか、思い上がりではないだろうか?
まあこの点では、なごやんさんは本音を語っておられる。
「わしは満州事変以降の大陸における日本軍の行動は侵略行為と思っている」と。
ところで、私の父親は、中国で女子供を殺して、勲章をもらった。
平和な社会でこんな事をすれば、連続殺人鬼として、大騒ぎになる。
私の父は、復員後、だいぶ荒れていたらしい。
しかし、私自身は、この頃の記憶は全くなく、実に大人しい穏やかな父であった。
ところが、中国人の事が話題になると、突然、「中国人は犬畜生と同じだ」と言う。
私は、子供ながらに、穏やかな父が、なぜこんな事を言うのか、不思議だった。
しかし、最近になって、ベトナム戦争の映画を見て、その理由がわかったような気がする。
日本人と対等な生きる権利を持った中国人の女子供を殺したと考えたら、
平和な普通の日常生活が出来なくなるのじゃないだろうか?
「殺されても仕方がない犬畜生を殺したのだから、俺は何も悪いことはしていない」
と、自分自身に言い聞かせながら、生きていたのじゃないだろうか?
だが、私の、若い時代の反戦活動自体には、何も反対しなかっただけでなく、
期待するような感情を持っていたように思われる。
戦争は犯罪を正当化・英雄化する。
しかし、実際に、戦場で殺傷するのは、己の意志である。
他人がどんなに正当化しても、自分自身が許さなくなる。
私の子供達を含めて、今日の若い世代は戦争の事なんか、すっかり忘れて、
対等平等な関係で、どんどんアジアとの文化経済の交流を深めている。
A級戦犯なんか、誰なのか、誰も知らない。
私は、これでいいと思う。
日本とアジアとの平和的な友好関係が深まれば、
A級戦犯がアジアの中で再評価される時代が来ると思う。
そんな時代を作るためには、小泉の靖国参拝は歴史的な逆行である。
小泉の靖国参拝は、彼らの遺志を泥靴で踏みにじる行為である。
A級戦犯をはずした慰霊碑を作ることで、
アジアとの平和的な友好関係を深めることこそ、
彼らの願いにこたえる道ではないだろうか!
私は、靖国神社に関しては、ほとんど何の知識もなかった。
なごやんさんとの議論は、大変勉強になりました。
多少は、靖国を参拝する人達の気持ちがわかりました。
今後、益々の鞭撻をお願いします。
東京裁判でA級戦犯として判断された人達を合祀している靖国を、
国家を代表する首相が参拝することは、実質上、この裁判を反故にする。
アジア人から見れば、ドイツの首相がヒットラーの墓参りで参拝するのと同じである。
「東条とヒットラーは違う」という論理は、小泉・なごやんさん・私の論理であって、
中国人・韓国人・朝鮮人の論理ではない。
押し付けと言うのは、この論理の押し付けである。
この論理を押し付けないで、敢えて靖国を参拝することは、
ドイツの首相がヒットラーに向かって参拝しても、
フランス人・ロシア人・ユダヤ人は理解してくれと言うに等しい。
東京裁判は国際的な裁判であったのだから、勝手に日本政府の判断で、
これを反故にするようなことは許されない。
靖国を参拝するなという国際法がなくても、
日本政府は東京裁判の精神を尊重する、国際的な道義的義務がある。
私達は、自由な社会で生きていくためには、
近隣の人達との間で守らなければならない最低限のルールというものがある。
他人の権利を尊重しなければ、自分の権利を守ることは出来ない。
国家間の関係でも同じようなことが言える。
日本は、かつて、勝手に、自分のルールを近隣国に押し付け、彼らの主権を奪った。
その結果が、東京裁判になったわけである。
同じ過ちを繰り返さないためには、近隣の国民感情を尊重しなければならない。
この国民感情を尊重することが、主権の放棄だと言うのは、
ちょっと我が儘過ぎか、思い上がりではないだろうか?
まあこの点では、なごやんさんは本音を語っておられる。
「わしは満州事変以降の大陸における日本軍の行動は侵略行為と思っている」と。
ところで、私の父親は、中国で女子供を殺して、勲章をもらった。
平和な社会でこんな事をすれば、連続殺人鬼として、大騒ぎになる。
私の父は、復員後、だいぶ荒れていたらしい。
しかし、私自身は、この頃の記憶は全くなく、実に大人しい穏やかな父であった。
ところが、中国人の事が話題になると、突然、「中国人は犬畜生と同じだ」と言う。
私は、子供ながらに、穏やかな父が、なぜこんな事を言うのか、不思議だった。
しかし、最近になって、ベトナム戦争の映画を見て、その理由がわかったような気がする。
日本人と対等な生きる権利を持った中国人の女子供を殺したと考えたら、
平和な普通の日常生活が出来なくなるのじゃないだろうか?
「殺されても仕方がない犬畜生を殺したのだから、俺は何も悪いことはしていない」
と、自分自身に言い聞かせながら、生きていたのじゃないだろうか?
だが、私の、若い時代の反戦活動自体には、何も反対しなかっただけでなく、
期待するような感情を持っていたように思われる。
戦争は犯罪を正当化・英雄化する。
しかし、実際に、戦場で殺傷するのは、己の意志である。
他人がどんなに正当化しても、自分自身が許さなくなる。
私の子供達を含めて、今日の若い世代は戦争の事なんか、すっかり忘れて、
対等平等な関係で、どんどんアジアとの文化経済の交流を深めている。
A級戦犯なんか、誰なのか、誰も知らない。
私は、これでいいと思う。
日本とアジアとの平和的な友好関係が深まれば、
A級戦犯がアジアの中で再評価される時代が来ると思う。
そんな時代を作るためには、小泉の靖国参拝は歴史的な逆行である。
小泉の靖国参拝は、彼らの遺志を泥靴で踏みにじる行為である。
A級戦犯をはずした慰霊碑を作ることで、
アジアとの平和的な友好関係を深めることこそ、
彼らの願いにこたえる道ではないだろうか!
私は、靖国神社に関しては、ほとんど何の知識もなかった。
なごやんさんとの議論は、大変勉強になりました。
多少は、靖国を参拝する人達の気持ちがわかりました。
今後、益々の鞭撻をお願いします。
これは メッセージ 11262 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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