二つのフェイズ
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2003/12/13 21:17 投稿番号: [10260 / 44985]
わしと皆さんとでは二つのフェイズで認識のズレがある。
1. 視点の違い
李殿、サンチャン、一億年後殿が「殺してはいけない」といっているのは、
「現代」の「日本」での「犯罪」という限定をしているか、あるいは無意識に話の前提としている。
わし、ナハ殿、山沖殿、ゴライアス殿の場合には、そのような前提条件をつけていない。
(ただし、山沖殿の場合、動物にまで話しを拡大している)
無条件で「人を殺してはいけないか」といわれれば、視点を高くするとダメと言えない場合がある。
人がサルと分かれてから、予想しうる未来までという「時間」
日本以外の先進国、発展途上国、紛争地帯までを含めた「空間」
犯罪以外の戦争、テロ、報復、安楽死、中絶死などの「条件」
これらすべてに渡って「人を殺してはいけない」といえるだけの
殺人そのものを禁止する客観的な根本理由は見当たらない。
2. 事実認識とイデオロギーの混同
わしは「殺人そのものを禁止する客観的な根本理由は見当たらない」
という事実認識をした。
では、以下の意見にわしが賛成するのだろうか?
「法律をかいくぐれば殺人はいいんだよ」
「戦争なんだから殺人は当たり前」
「罪を犯したんだ。犯人を絞首刑にせよ!」
「家計が苦しいんだから、中絶しちゃえよ」
いずれにもわしは「ノー」と答える。
それは人が、取替えの効かない、失われたら二度と元には戻らないモータルな存在だからじゃ。
(わしは、無道徳論者ではないし、戦闘行為は常に警察行動に押さえ込もうとしてる。
また死刑廃止論者。中絶反対論者。)
わしがこんな主張をするのは、なにか客観的で誰もが検証可能な科学的事実に基づくわけではない。
これは国益を重んじる保守主義者であるわしの「イデオロギー」じゃ。
そしてそれゆえに、確固とした「人命尊重」の理由がないと思うがゆえに、
わしは常に意識して人命の尊重を考えなければならないんじゃ。
カスパー殿、リョウセ殿はこのあたりを感づいているようじゃが、
李殿、1億年後殿あたりはまだよく分からんじゃろう。
李殿は(あるいは多くの人は)「プールの底に足はついている」と思い込んでいるが、
それは、「現代の日本」という先人の遺産なんじゃ。
わしはそれが分かっているから、その遺産を大事にしたい。
意識して補修しなければと考えている。
「人を殺していけないことはないんだよ」という根本にまで行ったうえで、
それでも「人の命を大事にしたい」という世界に自分の意志で帰らなければならない。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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