Re: 日本の対応
投稿者: piyopiyo262526 投稿日時: 2006/10/25 15:35 投稿番号: [15811 / 43252]
レス頂き有難うございます。
李王朝は元々1392年に成立していますが、初代の李成桂の扱いは当事の中華帝国「明」から「高麗国事」に封じられ、その後も「朝鮮国事」としてだけ封じられていて、正式に明から国王に封じられたのは李朝第3代からとなっています。「国事」とは国王代理の役職で、このことからも分かるように、成立当初から王位自体を他国の決定に委ねる等、主権を持った国家とは言いがたかったのです。更に、「国号」についても、李桂成は使者を明に送り、改めて高麗に変わる国家樹立の許可と国号を求めました。この時、李は「朝鮮」と「和寧」という国号候補を出し、明が「朝鮮」を選んだのです。
このように自国の国号さえ他国の決定に委ね、大国に対し卑屈なまでに阿るやり方を「事大主義」と言いますね。
日韓併合条約によって李朝は朝鮮半島の支配権を失ったけれど、元々が中華帝国の属国或いはそれ以下の扱いであったので、とてもでないけれど独立国家と呼べる代物では無かったのです。
李朝最後の皇帝が出した勅論でも「国内の混乱、国事を収拾できなくなった」と述べています。
李朝末期、政争に加え、高宗の無能ぶりにより半島の混乱は極みに達していました。官職の売り渡し、賄賂、違法な搾取行為等、内政・財政は破綻しており、日本・清・ロシアの間で揺れ動く一貫しない外交は、東アジア情勢を不安定にしていました。日清・日露戦争も結局は朝鮮の不安定ぶりが最大の原因だったのです。
ですから、朝鮮人の中で自ずと併合の声が大きくなっていった、と言えます。
元々主権を持てないお国柄でしたので、日本でなくとも清かロシアに併合されてもおかしくなかった状況でした。
伊藤博文は、併合には積極的ではなかったようです。朝鮮からの要請を受けても懸念を感じ、反対派だったと聞きます。日本の資産を注ぎ込む併合には慎重だったという事でしょう。併合すれば後々災いになる事を見越していたようです。
それでも伊藤博文が暗殺された為に、李朝に自力再建は不可能と判断した一進会等が中心となり、併合が加速していったのです。
当時の朝鮮は財政だけ見ても、歳入で賄える国家予算は三分の一程度で、仮に国債を発行しても引き受け手がおらず、結局併合後も日本が不足分を全て補填する有様でした。
日本はアジア情勢の安定を図る為に併合したのであり、植民地という用語を用いたとしても、実際は日本と同等のレベルまで引き上げ、暮らしを豊かにしたのであり欧米などの行った植民地政策とは全く異なるものだったと言えます。
李王朝は元々1392年に成立していますが、初代の李成桂の扱いは当事の中華帝国「明」から「高麗国事」に封じられ、その後も「朝鮮国事」としてだけ封じられていて、正式に明から国王に封じられたのは李朝第3代からとなっています。「国事」とは国王代理の役職で、このことからも分かるように、成立当初から王位自体を他国の決定に委ねる等、主権を持った国家とは言いがたかったのです。更に、「国号」についても、李桂成は使者を明に送り、改めて高麗に変わる国家樹立の許可と国号を求めました。この時、李は「朝鮮」と「和寧」という国号候補を出し、明が「朝鮮」を選んだのです。
このように自国の国号さえ他国の決定に委ね、大国に対し卑屈なまでに阿るやり方を「事大主義」と言いますね。
日韓併合条約によって李朝は朝鮮半島の支配権を失ったけれど、元々が中華帝国の属国或いはそれ以下の扱いであったので、とてもでないけれど独立国家と呼べる代物では無かったのです。
李朝最後の皇帝が出した勅論でも「国内の混乱、国事を収拾できなくなった」と述べています。
李朝末期、政争に加え、高宗の無能ぶりにより半島の混乱は極みに達していました。官職の売り渡し、賄賂、違法な搾取行為等、内政・財政は破綻しており、日本・清・ロシアの間で揺れ動く一貫しない外交は、東アジア情勢を不安定にしていました。日清・日露戦争も結局は朝鮮の不安定ぶりが最大の原因だったのです。
ですから、朝鮮人の中で自ずと併合の声が大きくなっていった、と言えます。
元々主権を持てないお国柄でしたので、日本でなくとも清かロシアに併合されてもおかしくなかった状況でした。
伊藤博文は、併合には積極的ではなかったようです。朝鮮からの要請を受けても懸念を感じ、反対派だったと聞きます。日本の資産を注ぎ込む併合には慎重だったという事でしょう。併合すれば後々災いになる事を見越していたようです。
それでも伊藤博文が暗殺された為に、李朝に自力再建は不可能と判断した一進会等が中心となり、併合が加速していったのです。
当時の朝鮮は財政だけ見ても、歳入で賄える国家予算は三分の一程度で、仮に国債を発行しても引き受け手がおらず、結局併合後も日本が不足分を全て補填する有様でした。
日本はアジア情勢の安定を図る為に併合したのであり、植民地という用語を用いたとしても、実際は日本と同等のレベルまで引き上げ、暮らしを豊かにしたのであり欧米などの行った植民地政策とは全く異なるものだったと言えます。
これは メッセージ 15724 (q7dee1962d4r3e さん)への返信です.
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