Re: 日本の対応
投稿者: q7dee1962d4r3e 投稿日時: 2006/10/25 10:28 投稿番号: [15724 / 43252]
ご指摘ありがとうございます。
私の見識不足と勇み足で強制などと書きました事お詫びします。
ただ、当時の状況は日清戦争以後に進駐した日本において実効支配されていた事も確かです。
一進会により出された上奏文は「日韓併合」ではなく「日韓合邦を要求する声明書」でした。この後街頭演説など大規模な集会を一進会が開きましたが、これは、日本と韓国があくまで対等な立場に立ち新たな帝国を作る事を望む声明だった聞きました。これには日本人も反対の声が上がったそうです。
李王朝は改革派との争いや政争で弱まっていた事は事実ですね。
第二次日韓協約を認めず、高宗がハーグ密使事件を起こしたときに日本側に立ち高宗を退位させ第三次日韓協約を結んだ李完用(内閣総理大臣)ですが
彼は日韓併合を韓国統監寺内から伝えられたときには韓国の名称と皇帝の尊称を残してくれるように頼みこれを拒絶されています。
彼の真意も列強に囲まれ自国の衰退を見かねて、日本の力を借り将来的に独立国家となることを望んでいたのではないでしょうか?
韓国から望んでの併合と言われますが、望んでいた併合の形とは違っていたようにも思います。
伊藤博文も併合を望んではいたが、時期的には抗日運動の排除を完遂してからと言う立場のようで実際に運動の盛んな村を焼き払うなどかなり過激だったようです。
又、併合と言われますが、日本の公文書の中に植民地・外地と言う表現を用いてるものもあるので、要請による併合という形にし列強国の干渉を排除する為の方便のような気もします。
韓国にとってインフラの整備等メリットもあったでしょが、一部日本の財閥と結託した韓国資本家を除き、零細自作農民が土地を追われ小作人として離村した事も事実です。
当時の疲弊した韓国の開化に一定の役割をはたしたことを認めますが、どちらの側に立つかによりどうしても光と影の部分の見え方や判断が違いますね。
今後とも間違いがありましたら教えてください。失礼しましたm(. .)m
これは メッセージ 15658 (piyopiyo262526 さん)への返信です.
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