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lcbリーさんへ フィリピンの事②

投稿者: bell45a 投稿日時: 2005/04/19 12:35 投稿番号: [9988 / 85019]
我が友、リーさん、あなたも知っている通り、

フィリピンとアメリカは、1899年2月に、アメリカ・フィリピン(米比)戦争に突入し、、翌年3月、フィリピンは、あまりにも多数の犠牲者を出し、アメリカに敗北した。


その時の、米軍の第九歩兵師団司令官であるジェイコブ・スミス准将、ルソン島南部の陸軍司令官トーマス・ベル准将、海兵隊旅団長リンドン・ウェラー少佐らが、戦闘詳報、命令書、手記などに残しているので、日本軍のでっち上げられた虐殺事件ではなく、実録として残されたが、当時の米軍は、『Kill   everyone   over   ten』(10歳以上と目される者は、すべて殺す。捕虜も住民も捕まえて、捕縛の上、すべて殺すこと。銃殺せよ。命令として発出、実行)を方針にして、ゲリラも住民もほとんど皆殺しにした。
虐殺は、一年続き、20万人以上のフィリピン人が殺され、死んだ。

さすがに、スペイン、カソリックなど、白人の側でも、あまりにも残虐な虐殺に抗議の声を挙げた。米国でも調査が行われ、最終的に、ルーズベルト大統領が以下のように談話を発表して終わった。

『国内のインディアンとの戦争では何百回となく見られたことであり、結果的、連鎖的に残虐行為があったからといって、文明のための戦争をやめることは、我々偉大な国民にとって全く価値がない。
道徳的な理由でフィリピン領有を断念したら、アリゾナをアパッチに引き渡す事になる』
従って、不問であると。

このアメリカ・フィリピン戦争に、もっとも同情的だったのは、日本で、米国に分からないように、フィリピンを支援するため、当時の台湾総督府から、参謀の原禎元大尉、稲富朝治郎少尉、中森三郎曹長、西内真鉄軍曹、宮井啓逸曹長、平山周ら6人を初めとする、310名の義勇隊がフィリピン軍に合同して、現地でアメリカ軍と戦った。

これには、宮崎滔天、犬養毅、陸軍大臣桂太郎、憲政本党代議士、中村弥六、福島安正参謀本部第2部長、三井物産が陰で協力して、武器・弾薬を支援した。
多数が、戦死、負傷したが、結局は米国の正規軍には勝てず、敗退した。

独立運動の中心にあった民族主義者、エミリオ・アギナルドは、フィリピン独立を宣言した初代大統領だが、こういった日本との連絡は、マリヤノ・ポンセ駐日外交代表を送って自分で交渉した。

現在、アギナルドの孫、ロサ・リンダ・アギナルドさんは、アギナルド記念館の館主だが、今でもこういった事を語り、『たとえ失敗に終わったにせよ、フィリピンのために日本人は手を差し伸べてくれました。一緒に戦った唯一の外国人であり、アジア人です。同じアジア人として、感謝している』と常に言っている。

このように、アジアの独立運動に対しては、日本政府と、日本軍は常に、無理をしてでも協力し、必ず人も送り、犠牲者も出している。
現在の韓国や中国、韓国人や中国人に、悪く言われるような、恥ずかしい歴史は、我々の国、日本にはない。
我々には、アジアの国々と、共に、植民地主義者、アメリカ、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ドイツと戦った歴史だけがある。

我々日本人は、常にアジア解放戦争に、協力し、独立を助け、共に犠牲者を出した歴史を誇りに思っている。


この時、フィリピンのもう一人の指導者、リカルテ将軍は、日本に亡命して、その後、二次大戦で、日本軍が上陸するとき、一緒に上陸して帰国した。
リカルテ将軍は、死後、その遺骨をフィリピンと日本の双方に埋めてほしいと遺言し、日本政府の計らいで、現在、山下公園にリカルテ将軍記念碑がある。


さらに、日本が米軍に勝利すると、フィリピンは自動的に独立し、第3代大統領、ホセ・ラウレルは、東京を訪問し、日本国民への感謝を伝えた。

戦後も
『私の気持ちはいつも変わらない。日本が敗北して、フィリピンは残念な事に、またも米軍が戻ったが、この大東亜戦争の影響は、必ず、アジアの将来、子孫に及び、日本が広めさせたアジアのアジアたる思想は、必ずそれを継ぐ者が現れるだろう』
と語っている。
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