日本軍と共に戦ったマレーシア
投稿者: bell45a 投稿日時: 2005/04/17 18:06 投稿番号: [9875 / 85019]
1941年12月8日、日本軍は陸海軍が共同して、マレー半島東北部のコタバルに上陸。イギリス軍を破竹の勢いで撃破した。
英軍はインド人、アフリカ人、マレー人などを大量に徴用していたが、それらの人々は心情的に日本軍を支援し、陰に陽に日本軍を助けた。
マレー青年連盟も、日本軍の藤原岩市少佐らと協力して、日本軍を「解放軍」として受け入れ、日本軍を先導していた。
マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員
『この国に来られた或る先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。
「日本軍はマレー人を一人も殺していません!」と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力した中国人、華僑の抗日ゲリラだけ、でした』
『私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍にみんなで揃って、歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです』
ガザリー・シャフィー 元外務大臣
『日本は何を?どんな悪い事をしたと言うのだろうか?
大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は、最終的に敗れたがイギリス軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ』
マレーシア ケランタン州・コタバル副知事ロザリー・イソハック氏(日本軍の上陸50周年特別式典に関して)
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。
これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。
ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
英軍はインド人、アフリカ人、マレー人などを大量に徴用していたが、それらの人々は心情的に日本軍を支援し、陰に陽に日本軍を助けた。
マレー青年連盟も、日本軍の藤原岩市少佐らと協力して、日本軍を「解放軍」として受け入れ、日本軍を先導していた。
マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員
『この国に来られた或る先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。
「日本軍はマレー人を一人も殺していません!」と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力した中国人、華僑の抗日ゲリラだけ、でした』
『私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍にみんなで揃って、歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです』
ガザリー・シャフィー 元外務大臣
『日本は何を?どんな悪い事をしたと言うのだろうか?
大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は、最終的に敗れたがイギリス軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ』
マレーシア ケランタン州・コタバル副知事ロザリー・イソハック氏(日本軍の上陸50周年特別式典に関して)
「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。
これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。
ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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