厚床さん。
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2005/03/15 10:58 投稿番号: [6830 / 85019]
ご指摘ありがとう御座います。実は、自分もこの部分に違和感を残したまま投稿したのです。
平安以前は、朝鮮半島の文化は日本に強い影響を与えていたはずです。しかし、平安時代以後、中国文化が流入すると、朝鮮文化と中国文化の相似性から、(日本国内の)朝鮮文化は(日本国内の)中国文化に同化していったと思います。明確な朝鮮文化という形での文化の伝承はここで潰えました。
さて、中国文化は江戸時代にも流行を極めました。また厚床さんご指摘のとおり、儒学も武家社会維持の目的に合致するため広くもてはやされました。そのカウンターアクションとして、当時の国学の台頭があったと、自分は理解しています。その国学から尊王論、攘夷思想が抽出され、幕末維新へと繋がるのでしょう。
征韓論や日韓合邦は、この「尊王攘夷論(維新)の朝鮮半島への輸出」が正体です。そして、尊王論とは所謂復古論です。復古論とは天皇(朝廷)への思想的回帰であり、これは古(いにしえ)の朝鮮半島への望郷感を内包します。この当時の「天皇への回帰→朝鮮半島への望郷感」が6795の投稿に書いた「明治初期まで日本人が抱いていた文化としての朝鮮」という感覚なのです。
うーん。なんだか書いてる自分が訳わかんなくなっちゃいました。すいません。まあ、言わんとするところは、「文化としての朝鮮」は中世以後江戸末期までの日本人の心中に中国文化の一部として冬眠し、幕末維新の復古思想と共に、復活した。しかし、維新の導入を迫られた当時の朝鮮半島は、もはや日本人が持つ「理想としての朝鮮文化」に耐えられる国体ではなかった。そのため、そこで「理想としての朝鮮文化」は日本人の心中から蒸発した。っちゅーとこです。
どうでしょう?
また、しごいてください(笑)。
では。
これは メッセージ 6800 (attoko12345 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/6830.html