許浚と東医宝鑑 とは その1
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/11/28 06:47 投稿番号: [61023 / 85019]
許浚と東医宝鑑
400年前に刊行され、出版当時はもちろん、今も韓国をはじめ中国、日本で広く読まれている東洋医学の書籍があります。許浚(ホジュン)が執筆した 東医宝鑑 です。
1995年11月14日、中国の江澤民主席が韓国を国賓訪問しました。そして江主席は国会の演説の中で 「東医宝鑑は両国文化交流史の美談として伝えられている」と演説しました。中国の国家主席が韓国と中国の友好の歴史の例として引用したほどの本「 東医宝鑑」、しかし、この本を書いた 許浚自身は当時、その価値を認めてもらえませんでした。
医師という職業に対する視線も今とは違いました。朝鮮時代に「医員」は身分上、官僚になれない中人のための職業に過ぎませんでした。このような理由で許浚についての個人的な記録は見つかりません。1990年代初めまで彼の墓がどこにあるのか、実在の人物だったかもわかりませんでした。許浚の名前が一般大衆に親しまれるようになったのは1990年「小説 東医宝鑑 」が出版されてからです。出版されるとすぐに350万部という驚異的な販売部数を記録し、その後、テレビドラマとなったことで、 許浚は韓国人に最もよく知られている歴史上の人物となりました。
当時、庶民は医薬の恩恵を全く受けられませんでした。最も大きな理由は中国から入ってくる薬剤の量が少なく、非常に高価だったためです。医薬の恩恵を受けるのは国王をはじめとする王室の構成員と高位官僚の一部に過ぎませんでした。その医療の範囲を拡大させる変換点となったのが許浚でした。
当時の朝鮮で使われていた薬剤の大部分が中国からの輸入品でしたが、同じ重さの金よりも高いというほどの高価な品でした。ですから庶民は病気になっても薬の一つも買うことが出来ませんでした。 朝鮮第一の医員であり、いくらでも金や名誉を手にすることができたにもかかわらず、彼はどうすれば金の無い庶民の病気を治し、その命を救うことが出来るかを研究したのです。その一つが、朝鮮でとれる1つの薬剤だけで治療するという単薬処方です。高級薬剤数十種類を混ぜて作る薬に比べれば、その効果は落ちるものの、高級処方を使えない大部分の庶民には吉報でした。許浚は誰でも見て使えるように 東医宝鑑に単薬処方について詳しく書き記しました。近くの野山でとれる薬剤を詳しく分類し、また薬剤の名前をハングルで記述し、庶民が医療に対する知識を簡単に得られるようにしました。
東医宝鑑はそれまでの医学書のように知識層の読む、難しい本ではありませんでした。この本の最も大きな特徴は当時としては画期的な編集術にありました。 東医宝鑑は25巻で構成されており、目次だけでも2巻です。 許浚は東医宝鑑を書くために韓国の医書だけでなく、中国の医書まで参考にし、その数は500冊に達しました。処方の最後には必ず、出典を明らかにし、自分の経験をさらに付け加えました。
ソース
KBS WORLD
400年前に刊行され、出版当時はもちろん、今も韓国をはじめ中国、日本で広く読まれている東洋医学の書籍があります。許浚(ホジュン)が執筆した 東医宝鑑 です。
1995年11月14日、中国の江澤民主席が韓国を国賓訪問しました。そして江主席は国会の演説の中で 「東医宝鑑は両国文化交流史の美談として伝えられている」と演説しました。中国の国家主席が韓国と中国の友好の歴史の例として引用したほどの本「 東医宝鑑」、しかし、この本を書いた 許浚自身は当時、その価値を認めてもらえませんでした。
医師という職業に対する視線も今とは違いました。朝鮮時代に「医員」は身分上、官僚になれない中人のための職業に過ぎませんでした。このような理由で許浚についての個人的な記録は見つかりません。1990年代初めまで彼の墓がどこにあるのか、実在の人物だったかもわかりませんでした。許浚の名前が一般大衆に親しまれるようになったのは1990年「小説 東医宝鑑 」が出版されてからです。出版されるとすぐに350万部という驚異的な販売部数を記録し、その後、テレビドラマとなったことで、 許浚は韓国人に最もよく知られている歴史上の人物となりました。
当時、庶民は医薬の恩恵を全く受けられませんでした。最も大きな理由は中国から入ってくる薬剤の量が少なく、非常に高価だったためです。医薬の恩恵を受けるのは国王をはじめとする王室の構成員と高位官僚の一部に過ぎませんでした。その医療の範囲を拡大させる変換点となったのが許浚でした。
当時の朝鮮で使われていた薬剤の大部分が中国からの輸入品でしたが、同じ重さの金よりも高いというほどの高価な品でした。ですから庶民は病気になっても薬の一つも買うことが出来ませんでした。 朝鮮第一の医員であり、いくらでも金や名誉を手にすることができたにもかかわらず、彼はどうすれば金の無い庶民の病気を治し、その命を救うことが出来るかを研究したのです。その一つが、朝鮮でとれる1つの薬剤だけで治療するという単薬処方です。高級薬剤数十種類を混ぜて作る薬に比べれば、その効果は落ちるものの、高級処方を使えない大部分の庶民には吉報でした。許浚は誰でも見て使えるように 東医宝鑑に単薬処方について詳しく書き記しました。近くの野山でとれる薬剤を詳しく分類し、また薬剤の名前をハングルで記述し、庶民が医療に対する知識を簡単に得られるようにしました。
東医宝鑑はそれまでの医学書のように知識層の読む、難しい本ではありませんでした。この本の最も大きな特徴は当時としては画期的な編集術にありました。 東医宝鑑は25巻で構成されており、目次だけでも2巻です。 許浚は東医宝鑑を書くために韓国の医書だけでなく、中国の医書まで参考にし、その数は500冊に達しました。処方の最後には必ず、出典を明らかにし、自分の経験をさらに付け加えました。
ソース
KBS WORLD
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