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撫順収容所 の 洗脳  2

投稿者: ahoka1111111111111 投稿日時: 2007/11/27 23:30 投稿番号: [60996 / 85019]
  その同じ小島氏の証言が「天皇の軍隊」ではどのようになっているか。
以下   本多勝一・長沼節夫著「天皇の軍隊」朝日文庫一九九一刊(単行本の初版は一九七四年)
<「衣」第四四大隊機関銃中隊(隊長・久保川助作中尉)の小島隆男少尉らも、その日の午前中に非情呼集がかかったために、衛河のほとりにかけつけた>
P224
  <広瀬利善大隊長や久保川中隊長ら数人の将校たちは、満水の運河を眺めつつ、先ほどから堤防の上を行きつつ戻りつつしていた。
略)
  大隊長の命令は久保川中隊長が受けた。作業の実質的な指導は小島小隊長の任務だ>
P225
  <大隊長・中隊長や小島少尉(小隊長)らの将校は、そこに堤防決壊後二時間ほどいた>
P227
<一九四四(昭和十九年)年の秋、機関銃中隊(久保川助作中隊長=中尉)の小島隆男小隊長(少尉)以下三〇人は、河北省南端に近い武城県の部落に一時分屯していた>
p311
<「衣」第五三旅団第四四大隊の小島隆男中尉が一時帰国したのは、一九四四年(昭和十九年)の一一月である。
略)
彼は結婚式と新婚旅行を理由に上部に願い出てこの機会を得る事ができた>
p356

  注)本多氏の著書では「衣」師団とは、工作隊、通信隊、輜重隊、野戦病院と二個旅団(独立歩兵四一大隊、四二大隊、四三大隊、四四大隊によって構成された歩兵五三旅団と独立歩兵第一〇九大隊(甲府)・第一一〇大隊(麻布)・第一一一大隊(佐倉)・第四五大隊(現地編成)によって構成された五四旅団によって「北支那(華北)方面軍第一二軍第五九師団」として編成されたものとなっています。

  ・     「元兵士たちの証言   従軍慰安婦」   「天皇の軍隊」

  所属    第三二師団歩兵二一二連隊   第五九師団独立歩兵第四四大隊

一九四三年時の階級      中尉          少尉

     結婚       一九五六年以降     一九四四年十一月



  西野女史の著書では小島氏は第三二師団歩兵二一二連隊中隊長であり、一九四三年の小島氏のいう堤防決壊の時には中尉として二百人もの部下を持っていた事になっています。それが、本多氏の著書では小島氏は第五九師団独立歩兵第四四大隊機関銃中隊小隊長(少尉)として一九四三年の堤防決壊の時には「大隊長の命令は久保川中隊長が受けた。作業の実質的な指導は小島小隊長の任務だ」とまで書いています。本多氏の著書「天皇の軍隊」でみると一九四四年秋の河北省の作戦時までは小島氏は少尉であり、一一月の一時帰国したときには中尉になっていたことになり、少なくとも中尉に昇進したのは一九四四年秋以降となっているばかりでなく、結婚も「日本に帰ってから」「一九四四年に結婚式と新婚旅行を兼ねた帰国」と結婚の時も違うし、もっとすごいのは、軍人としてのその所属師団、連隊まで違う事でしょうか。つまり、小島氏は同じ時代に二つの人生を歩んで証言している事になります。

  まるで、嘘つきばかりの朝鮮人慰安婦の証言なみです。
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