撫順収容所 の 洗脳 1
投稿者: ahoka1111111111111 投稿日時: 2007/11/27 23:25 投稿番号: [60995 / 85019]
中帰連(中国帰還者連連絡会)という売国奴の連中の団体がある。これは米戦時情報局(OWI)による「延安レポート」にも書かれている中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”により売国奴に成り下がった連中です。
延安レポート
以下引用
第二次大戦末期に作成された。米戦時情報局(OWI)による「延安レポート」が初めて一つにまとめられ、邦訳が出版される。延安リポートは、中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”の実態を調査したものだが、戦後の米国の対日・対中政策にも影響を与えたとみられており、貴重な一次資料といえそうだ。
一九三〇年代、中国紅軍(中共軍)と党中央は長征後、延安に移り、抗日・革命運動拠点とした。米国は、国民党政府の蒋介石の反対を押し切る格好で四四年七月から約十一カ月問、軍やOWIなどの情報将校を軍事視察団として派遣、中共の全面的な協力という異例の蜜月状態の下、「延安リーポート」を作成した。
リポートの「捕虜の扱い方」では、中共は「一般的に日本人の自尊心は非常に強い」と洞察し、日本人捕虜を質間するさいには「優しく、穏やかに」と指導。また、負傷した捕虜には手当てを施し、戦場の日本兵の死体を「一時的な感情」から損傷することを戒め、逆に大事に葬り、墓標を立てるべきだ、と説く。
こうした指示は一見、人道的だが、その根底には一般の日本兵や日本人が戦争を遂行する指導部を憎悪し、「否定的な厭戦気分から積極的な反戦意識」を持つように教化するための中共の冷徹な計算があった。後に中共側の九十八人の日本兵捕虜に対し米側が行った「意識調査」では戦争や天皇制を否定する声が九割を超した。意識調査を担当した主要執筆者の一人、外交官ジョン・エマーソンは「平均的な日本人兵士の信念と態度がシステマチックな教化によって変えられることの一つの証明である」とコメントしている。
エマーソンは後に連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官の政治顧問付補佐官を務めた。編訳者の山本武利・早大政経学部教授は「リポートは全体として、米国の戦後の対日・対中政策、さらにいえば、台湾を含む現在の東アジア情勢の原点を考える格好の資料となるのではないか」と話している。七十一回にのぼる延安リポートは米国立公文書館に分散して保存されており、山本教授が十年がかりでまとめ、神田外語大外国語学部の高杉忠明教授とともに全訳した。翻訳は二十四日、岩波書店から発売される。(関厚夫)
引用終わり
産経新聞平成十八年二月五日朝刊より
このように洗脳された売国奴の集まりである中帰連連中のいい加減さについては「証言がコロコロ変わる」「非現実的」など数々の指摘があります。私の手許にある数冊の本に掲載された連中の発言などからもそれがわかります。
小島隆男氏の例からみてみます。
以下西野留美子著「元兵士たちの証言 従軍慰安婦」明石書店刊1992年より
<日本に帰ってきてから遅い結婚をし、自分の子どもを育てるなかで、自分たちが犯した罪の大きさを知ることがたびたびありました>
p154
<彼が命令した衛河の堤防決壊事件の事である。山東省西北端の臨清に機関銃中隊長として駐屯していたときのことであった>
p156
<わたしは一九三九年十二月に入隊し、下旬には、第三二師団歩兵第二一二連隊に配属になり、中国の北支山東省に行きました。四一年には少尉になり小隊長に、四三年には中尉になり中隊長として、二百人の兵隊の指揮にあたっていました>
p159
対談の終わりにある参加者の紹介では
一九三九年歩兵第五七連隊入隊(佐倉)、第三二師団歩兵二一二連隊(北支・山東省)
一九四三年中尉
一九四五年ソ連抑留
一九五〇年中国撫順戦犯管理所に移される
一九五六年帰国
延安レポート
以下引用
第二次大戦末期に作成された。米戦時情報局(OWI)による「延安レポート」が初めて一つにまとめられ、邦訳が出版される。延安リポートは、中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”の実態を調査したものだが、戦後の米国の対日・対中政策にも影響を与えたとみられており、貴重な一次資料といえそうだ。
一九三〇年代、中国紅軍(中共軍)と党中央は長征後、延安に移り、抗日・革命運動拠点とした。米国は、国民党政府の蒋介石の反対を押し切る格好で四四年七月から約十一カ月問、軍やOWIなどの情報将校を軍事視察団として派遣、中共の全面的な協力という異例の蜜月状態の下、「延安リーポート」を作成した。
リポートの「捕虜の扱い方」では、中共は「一般的に日本人の自尊心は非常に強い」と洞察し、日本人捕虜を質間するさいには「優しく、穏やかに」と指導。また、負傷した捕虜には手当てを施し、戦場の日本兵の死体を「一時的な感情」から損傷することを戒め、逆に大事に葬り、墓標を立てるべきだ、と説く。
こうした指示は一見、人道的だが、その根底には一般の日本兵や日本人が戦争を遂行する指導部を憎悪し、「否定的な厭戦気分から積極的な反戦意識」を持つように教化するための中共の冷徹な計算があった。後に中共側の九十八人の日本兵捕虜に対し米側が行った「意識調査」では戦争や天皇制を否定する声が九割を超した。意識調査を担当した主要執筆者の一人、外交官ジョン・エマーソンは「平均的な日本人兵士の信念と態度がシステマチックな教化によって変えられることの一つの証明である」とコメントしている。
エマーソンは後に連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官の政治顧問付補佐官を務めた。編訳者の山本武利・早大政経学部教授は「リポートは全体として、米国の戦後の対日・対中政策、さらにいえば、台湾を含む現在の東アジア情勢の原点を考える格好の資料となるのではないか」と話している。七十一回にのぼる延安リポートは米国立公文書館に分散して保存されており、山本教授が十年がかりでまとめ、神田外語大外国語学部の高杉忠明教授とともに全訳した。翻訳は二十四日、岩波書店から発売される。(関厚夫)
引用終わり
産経新聞平成十八年二月五日朝刊より
このように洗脳された売国奴の集まりである中帰連連中のいい加減さについては「証言がコロコロ変わる」「非現実的」など数々の指摘があります。私の手許にある数冊の本に掲載された連中の発言などからもそれがわかります。
小島隆男氏の例からみてみます。
以下西野留美子著「元兵士たちの証言 従軍慰安婦」明石書店刊1992年より
<日本に帰ってきてから遅い結婚をし、自分の子どもを育てるなかで、自分たちが犯した罪の大きさを知ることがたびたびありました>
p154
<彼が命令した衛河の堤防決壊事件の事である。山東省西北端の臨清に機関銃中隊長として駐屯していたときのことであった>
p156
<わたしは一九三九年十二月に入隊し、下旬には、第三二師団歩兵第二一二連隊に配属になり、中国の北支山東省に行きました。四一年には少尉になり小隊長に、四三年には中尉になり中隊長として、二百人の兵隊の指揮にあたっていました>
p159
対談の終わりにある参加者の紹介では
一九三九年歩兵第五七連隊入隊(佐倉)、第三二師団歩兵二一二連隊(北支・山東省)
一九四三年中尉
一九四五年ソ連抑留
一九五〇年中国撫順戦犯管理所に移される
一九五六年帰国
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