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Re: 中国外交部、「任那日本府説」

投稿者: wasiya2610 投稿日時: 2007/08/13 12:03 投稿番号: [49824 / 85019]
色々賛否両論読みました。
結論は「よくわからない」です。
ただ、広開土王碑の記述から類推される、任那に何らかの影響力を持っていたことは「あり」なのかなと思いました。
この話はタイムマシンでも発明されない限り結論は出ないでしょう。

・ ・・日本書紀の記述を無批判に信じた、戦前の皇国史観で論じたら結論は出んでしょうな。

任那加羅が何処に有ったかで、違うてくるけど、

韓国の文献『真鏡大師宝月凌空塔碑』には、大師、諱は審希、俗姓は新金氏。其の先は任那の王族にして・・・我が國に投ず。遠祖の興武大王・・・終に二敵(百済・高句麗)を平らぐ」とあるな。新金氏は、金官国最後の王 仇亥(仇衡)が新羅に来投したのち与えられた姓であり、興武大王とはその曾孫にあたる。

同じく『三国史記』巻46・強首伝にも、文章の才で知られた強首が新羅の太宗武烈王に問われて「臣、本(もと)任那加良人なり」と有るな。

※「強首」、デジタル平凡社『世界大百科事典』より
朝鮮,7世紀の新羅の文人。生没年不詳。加羅(耶)系貴族の出身で,中原京(忠州)の人。儒学にこころざして官途につき,新羅史上初の本格的な儒学者として薛聡(せつそう)とならび,文章にすぐれる。武烈王のとき唐から来た難解な国書を解読し,その答書をも書いて王の信任をえた。文武王代にわたる複雑な国際関係のなかで,巧みに外交文書をあやつり,新羅の三国統一に貢献した。

↑を見たら、倭人ゆうのは何もんや?となるけど、難しい事は置いといて、自分なりの解釈させてもろたら、百済や任那加羅から仰山人が移住して来たし、日本書紀の編纂にも関係しとるようやさかい、半島憎しで、任那加羅は、ホンマは長崎の出島みたいな感じのとこが、大げさに書いてあるんとちゃうか?

この頃から、服装も朝鮮式の襟の左前から中国式の右前に変えてるし、遣唐船のコースも朝鮮半島沿いの安全な「北路」を避けて、東シナ海を横断する危険な「南路」に切り替えてるしな。

要するに、日本書紀編纂中及び完成間近辺りから、朝鮮半島と縁切り状態になっとったわけやな。

唐を何でカラと読むんかも含めて、加羅(カラ)=外国から唐(カラ)=外国の総称になった経緯を調べてもおもろいと思うな。

あくまで私見やさかい、返信は要らんでぇ。
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