それでも、なお私を動かす何か
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/12/04 09:04 投稿番号: [4949 / 85019]
韓国における「数え切れないほどの裏切り・誹謗中傷・約束違反」
本当に苦々しく、また、懐かしいとも今でも思えない出来事の数々。
交渉し、折衝し、数年間も、十年以上も知己でも、あれだけ確認し、文書を交換し、儀式を経ていても、ある日突然、自分たちの都合で反古にする、「あの時は何々だったから。今は違う」か、こちらの言葉を黙殺し、強く抗議すると目をそらし、黙り込んでしまう。追及すると、こざかしい細工をあちこちでして、私の個人中傷を始める・・・・・
台湾、中国の関係者も出来るだけ関係したがらない、語るのも厭う韓国の関係者。
正式の折衝で、日本から関係者も来ると分かっていながら、資料作りをせず、丸でお話にならない、手ぶらで席に着き、安易な提示をもってくる程度の低さ。
上部と下部の信頼関係がなく、こちらがとりなす事もしばしばで交渉にならない事もよくありました。
年齢が下でも、見知らぬと、ちょっとしたことで難癖をつけ、目をつり上げて喚き出す。
或る協議で、戦車を組み立てる工場に招待され、こちらが出向いているにもかかわらず、日本人と知って、着剣した小銃を持ったまま敬礼をせず、威嚇する兵士(小生、激怒。車を降りて、本人を怒鳴りつけるとともに、ソウルにそのままUターン)。
ソウルから太田に向かう途中、運転手が速度違反。停めたパトカー警官が日本人同乗と知ると、警官はパトカーに戻り、こちらに向きを変え、スピーカーで大音量の反日演説開始。大渋滞発生の中、小生も怒り心頭。外に出て腰に手をあてて対峙。後に「演説」要旨をソウルの本庁に提出、抗議督促するも黙殺される。
街中でみる高齢者、女性への不遜、無礼な態度。ちょっとした事でも都合が悪くなると、手の平を返す事もたびたび経験。
技術供与を行っても、その企業の担当がやめたから、もう一度無償でやり直してほしい、と再々言い出す程度の低さ(機密文書も一切ならずすべて紛失)。
関係企業から、韓国企業への研修は、人が来るたびに一から全部やってほしいと言い出すと揃って指摘、韓国内での継承が成り立っておらず、賛同企業がまた一社、また二社と消えていく。それでも何ら反省心のない関係者。
こじれると、いかがわしい夜の宴会で解決しようとする、人をなめた態度(小生、一切御免を貫き通しました。これまた中傷の材料に。いわく「度量が狭く関係が保てない」)。こざかしい極み。
商社でも、官庁関連でも韓国語の担当者はやめることやめること、専門に極めてきた彼らが韓国と直接関係するようになると、数年で嫌気をさして、完全に韓国からも韓国語からも遠ざかってしまう。
これなど、他の地域、国の担当では、中国関係の部署でさえ、決して見たことがない現象(私は他にまったく見聞きした事がない)でした。中国も色々と日本人からすると呆れる事が日常茶飯事ですが、彼ら担当者は、たとえ、企業や官庁をやめても、ずっと中国語と中国に関係して生きていきます(好きなんでしょうね、きっと)。
koibitonoirumachikadoさんのご指摘の点は、私も例外ではありません。その通りです。
しかしながら・・・、地方で教えた生徒達、若い人達、工場で教えた若い女性達(十代後半でしょう。幸福になれるように見えませんでした。同じ事をしていたタイの女性達は人生を楽しんでいるように見えました。不思議でならない。もっと楽しそうでした)、日本に多少なりとも、憧れを持ってやってくる留学生達。職場で接した女性達などは、いずれも日本人以上に勉学、職務に熱心で、どこかしら懐かしさを感じるような純粋さを持っていたことは事実です。
また、時に地方で出会う古老、壮年の指導者は、口数も少ないものの、凛とした立派な方を見かけました。李承晩の私設暴力団に殺された民族主義者はこんな風であったろうと感じました。
朝鮮の若者をみていて、身近に接すると、昨日まで「この半島は土地から呪われているのではないか」と思った気持ちも急に揺らぎました。欧米、中国などでは決してなかった不思議な揺らぎでした。
誰かがやはり善導しなければならない。
酒ばかり飲み不埒な夜遊びが好きな、実務能力も低い、愚論で固まった壮年の男達は全員死んでも一向に構わないが、この子達は汚染から守りたい、どこかで李朝や李承晩に培われた愚昧、暗愚、陋劣な流れを断ち切りたい、救助できないものか、とも切実に思うのです。
内田良平の言ったことは、小生にはどこか理解できるところがあります。ブラザーフッドをもう一度みても、ポニーも走っていなかった、未だゴミゴミとして古くさかったソウルでの出来事、出会った人を思い出し、なんだか涙が出るのを止められない感慨があるのです。彼らをなんだかいじましくも思うのです。
本当に苦々しく、また、懐かしいとも今でも思えない出来事の数々。
交渉し、折衝し、数年間も、十年以上も知己でも、あれだけ確認し、文書を交換し、儀式を経ていても、ある日突然、自分たちの都合で反古にする、「あの時は何々だったから。今は違う」か、こちらの言葉を黙殺し、強く抗議すると目をそらし、黙り込んでしまう。追及すると、こざかしい細工をあちこちでして、私の個人中傷を始める・・・・・
台湾、中国の関係者も出来るだけ関係したがらない、語るのも厭う韓国の関係者。
正式の折衝で、日本から関係者も来ると分かっていながら、資料作りをせず、丸でお話にならない、手ぶらで席に着き、安易な提示をもってくる程度の低さ。
上部と下部の信頼関係がなく、こちらがとりなす事もしばしばで交渉にならない事もよくありました。
年齢が下でも、見知らぬと、ちょっとしたことで難癖をつけ、目をつり上げて喚き出す。
或る協議で、戦車を組み立てる工場に招待され、こちらが出向いているにもかかわらず、日本人と知って、着剣した小銃を持ったまま敬礼をせず、威嚇する兵士(小生、激怒。車を降りて、本人を怒鳴りつけるとともに、ソウルにそのままUターン)。
ソウルから太田に向かう途中、運転手が速度違反。停めたパトカー警官が日本人同乗と知ると、警官はパトカーに戻り、こちらに向きを変え、スピーカーで大音量の反日演説開始。大渋滞発生の中、小生も怒り心頭。外に出て腰に手をあてて対峙。後に「演説」要旨をソウルの本庁に提出、抗議督促するも黙殺される。
街中でみる高齢者、女性への不遜、無礼な態度。ちょっとした事でも都合が悪くなると、手の平を返す事もたびたび経験。
技術供与を行っても、その企業の担当がやめたから、もう一度無償でやり直してほしい、と再々言い出す程度の低さ(機密文書も一切ならずすべて紛失)。
関係企業から、韓国企業への研修は、人が来るたびに一から全部やってほしいと言い出すと揃って指摘、韓国内での継承が成り立っておらず、賛同企業がまた一社、また二社と消えていく。それでも何ら反省心のない関係者。
こじれると、いかがわしい夜の宴会で解決しようとする、人をなめた態度(小生、一切御免を貫き通しました。これまた中傷の材料に。いわく「度量が狭く関係が保てない」)。こざかしい極み。
商社でも、官庁関連でも韓国語の担当者はやめることやめること、専門に極めてきた彼らが韓国と直接関係するようになると、数年で嫌気をさして、完全に韓国からも韓国語からも遠ざかってしまう。
これなど、他の地域、国の担当では、中国関係の部署でさえ、決して見たことがない現象(私は他にまったく見聞きした事がない)でした。中国も色々と日本人からすると呆れる事が日常茶飯事ですが、彼ら担当者は、たとえ、企業や官庁をやめても、ずっと中国語と中国に関係して生きていきます(好きなんでしょうね、きっと)。
koibitonoirumachikadoさんのご指摘の点は、私も例外ではありません。その通りです。
しかしながら・・・、地方で教えた生徒達、若い人達、工場で教えた若い女性達(十代後半でしょう。幸福になれるように見えませんでした。同じ事をしていたタイの女性達は人生を楽しんでいるように見えました。不思議でならない。もっと楽しそうでした)、日本に多少なりとも、憧れを持ってやってくる留学生達。職場で接した女性達などは、いずれも日本人以上に勉学、職務に熱心で、どこかしら懐かしさを感じるような純粋さを持っていたことは事実です。
また、時に地方で出会う古老、壮年の指導者は、口数も少ないものの、凛とした立派な方を見かけました。李承晩の私設暴力団に殺された民族主義者はこんな風であったろうと感じました。
朝鮮の若者をみていて、身近に接すると、昨日まで「この半島は土地から呪われているのではないか」と思った気持ちも急に揺らぎました。欧米、中国などでは決してなかった不思議な揺らぎでした。
誰かがやはり善導しなければならない。
酒ばかり飲み不埒な夜遊びが好きな、実務能力も低い、愚論で固まった壮年の男達は全員死んでも一向に構わないが、この子達は汚染から守りたい、どこかで李朝や李承晩に培われた愚昧、暗愚、陋劣な流れを断ち切りたい、救助できないものか、とも切実に思うのです。
内田良平の言ったことは、小生にはどこか理解できるところがあります。ブラザーフッドをもう一度みても、ポニーも走っていなかった、未だゴミゴミとして古くさかったソウルでの出来事、出会った人を思い出し、なんだか涙が出るのを止められない感慨があるのです。彼らをなんだかいじましくも思うのです。
これは メッセージ 4948 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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