三光政策
投稿者: mosouobabano 投稿日時: 2007/07/11 00:18 投稿番号: [45978 / 85019]
血で書かれた歴史――「南京大虐殺」
中華日本学会常務副会長 駱為竜
「南京大虐殺」は、第二次世界大戦における日本軍国主義の戦争暴行の中でも最も残虐で、人びとを憤激させる重大な事件であった。「前事を忘れざるは後事の師なり」という。この時期の歴史を正しく理解、認識し、その中から有益な教訓を汲み取り、中日友好を妨げるものを除去することには、極めて重要な意義がある。
中国を侵略した日本軍が、当時の首都南京で行った大虐殺は、少数の軍人による「自然発生的な規律違反行為」ではなく、計画的、組織的な軍事行動であった。日本軍は1937年7月7日に全面的な中国侵略戦争を起こしてから、華北(中国北部地区)に増兵し、侵略を拡大すると同時に、口実をもうけてたびたび上海に増兵し、淞滬(呉淞・上海)地区に対する進攻を開始した。同年7月17日、上海駐留の日本海軍第三艦隊司令官長谷川清は、海軍軍令部への報告書の中で「もし戦域を制限すれば、敵側兵力の集中に有利となり、わが軍の作戦行動が困難になることを深く恐れる……。中国の死命を制するためには、上海、南京を制することが最も重要である」と述べた。日本軍は上海を占領してから、中国侵略の鼻いきがさらに荒くなった。
10月 24日の御前会議で、陸軍参謀総長は、上奏した作戦計画の中で、上海周辺でおさめた勝利に乗じて機を逸せず果敢に追撃し、南京に進攻することを進言した。当時華中方面軍司令官だった松井石根は日記に「余、つつしみて大命を奉じ、聖旨のあるところを察し、破邪顕正の宝剣をもって馬謖を斬らん」と書いた。同年 12月、松井が自ら起草した「南京攻略要綱」は、掃討作戦に関する具体的措置を次のように定めた。「①もし南京の守備司令官あるいは市政当局が城内に残るなら、開城を勧告し、平和的にそれを占領する。そのあと、各師団はそれぞれ歩兵一個大隊を選抜し、それを中堅として先に城内に進入させ、区を分けて城内を掃討する。②もし敵の残存部隊が城壁を利用してかたくなに抵抗を続けるなら、戦場に到着したあらゆる砲兵でもって砲撃したうえで城壁を奪取、占領する。そのあと、各師団は歩兵一個連隊を基幹として城内を掃討する」。この作戦指導要綱のいわんとするところは、極めて明確である。つまり、中国の守備軍が降伏しようと、あるいは抵抗しようと、日本軍は必ず掃討するということである。いわゆる「掃討」とは、野蛮にも殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす「三光」政策を遂行することであった。
中華日本学会常務副会長 駱為竜
「南京大虐殺」は、第二次世界大戦における日本軍国主義の戦争暴行の中でも最も残虐で、人びとを憤激させる重大な事件であった。「前事を忘れざるは後事の師なり」という。この時期の歴史を正しく理解、認識し、その中から有益な教訓を汲み取り、中日友好を妨げるものを除去することには、極めて重要な意義がある。
中国を侵略した日本軍が、当時の首都南京で行った大虐殺は、少数の軍人による「自然発生的な規律違反行為」ではなく、計画的、組織的な軍事行動であった。日本軍は1937年7月7日に全面的な中国侵略戦争を起こしてから、華北(中国北部地区)に増兵し、侵略を拡大すると同時に、口実をもうけてたびたび上海に増兵し、淞滬(呉淞・上海)地区に対する進攻を開始した。同年7月17日、上海駐留の日本海軍第三艦隊司令官長谷川清は、海軍軍令部への報告書の中で「もし戦域を制限すれば、敵側兵力の集中に有利となり、わが軍の作戦行動が困難になることを深く恐れる……。中国の死命を制するためには、上海、南京を制することが最も重要である」と述べた。日本軍は上海を占領してから、中国侵略の鼻いきがさらに荒くなった。
10月 24日の御前会議で、陸軍参謀総長は、上奏した作戦計画の中で、上海周辺でおさめた勝利に乗じて機を逸せず果敢に追撃し、南京に進攻することを進言した。当時華中方面軍司令官だった松井石根は日記に「余、つつしみて大命を奉じ、聖旨のあるところを察し、破邪顕正の宝剣をもって馬謖を斬らん」と書いた。同年 12月、松井が自ら起草した「南京攻略要綱」は、掃討作戦に関する具体的措置を次のように定めた。「①もし南京の守備司令官あるいは市政当局が城内に残るなら、開城を勧告し、平和的にそれを占領する。そのあと、各師団はそれぞれ歩兵一個大隊を選抜し、それを中堅として先に城内に進入させ、区を分けて城内を掃討する。②もし敵の残存部隊が城壁を利用してかたくなに抵抗を続けるなら、戦場に到着したあらゆる砲兵でもって砲撃したうえで城壁を奪取、占領する。そのあと、各師団は歩兵一個連隊を基幹として城内を掃討する」。この作戦指導要綱のいわんとするところは、極めて明確である。つまり、中国の守備軍が降伏しようと、あるいは抵抗しようと、日本軍は必ず掃討するということである。いわゆる「掃討」とは、野蛮にも殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす「三光」政策を遂行することであった。
これは メッセージ 45977 (mosouobabano さん)への返信です.
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