ペ・ヨンジュン朝鮮日報単独インタビュー上
投稿者: samsung_mania2003 投稿日時: 2004/11/19 17:04 投稿番号: [4556 / 85019]
「韓流ブームの主役」ペ・ヨンジュン朝鮮日報単独インタビュー
「年配の日本のファンの方たちが私より純粋」
日本での『冬のソナタ』の大ヒットで、韓日文化交流の地形図を書き換えた「ヨン様」ペ・ヨンジュン(32)さんが18日夕、朝鮮日報と単独インタビューを行った。
ソウル・江南(カンナム)区・論硯(ノンヒョン)洞に位置する所属事務所で会ったペ・ヨンジュンさんは、「日本であれほどまで人気を集めるとは予想しなかった。私を愛してくださる韓国と日本のすべての方々に感謝する」と述べた。
6か月以上も外部との接触を絶っていたペ・ヨンジュンさんはこの日、「身に余る愛に大きな責任感を感じる。社団法人の設立など、何か社会に恩返しできる方法を探している」とした。
ペ・ヨンジュンさんは19日に青龍映画祭の手形モニュメントイベント、20日に写真集「The Image Vol. One」の発売と展示会の開幕行事に相次いで出席する。
2004年の一年、「ヨン様」ペ・ヨンジュンは玄海灘を行き来しながら、韓国と日本の両国を貫く社会現象となった。
特に、日本での彼の位相は「スター」という一言では規定することができないほどだった。400年前の朝鮮通信使以来、韓半島から吹きつけた熱風としては最高だと言われる“韓流”の震源地が彼であり、ドラマ『冬のソナタ』がNHKで放送されて以来、彼がインターネットホームページに載せる一言、CMで見せる小さな目線の動きや身振り、些細な情報などに、日本のファンは全身で反応した。
ペ・ヨンジュンの“痕跡”を求めて韓国を訪れる日本人観光客による経済効果は数千億ウォンに上るだろうと言われている。
18日午後、江南(カンナム)区・論硯(ノンヒョン)洞に位置するペ・ヨンジュンの所属事務所「BOF」でペ・ヨンジュンに会った。
一般家屋を改造した事務所の前には、日本女性3〜4人の2グループが中を覗いていた。「20分も待った」としながらも、記念写真を撮るなど楽しそうな表情だ。
事務所は若い職員で慌しい雰囲気だった。香港、ソウル、東京、ロサンジェルスにそれぞれ時間を合わせた丸い時計が掛けられ、緑の人工の竹の木が森林の雰囲気を漂わせる小さな応接間に、黒い帽子と濃い緑の皮のコートを羽織ったペ・ヨンジュンが姿を現した。
過去7か月間、マスコミへの露出を完全に遮断してきたペ・ヨンジュンだが、いざ面と向かって座った席では気楽さと余裕が感じられた。今月19日に行われる青龍映画祭の手形モニュメントイベントで人々の前に姿を現す心の準備をしたためだろうか。約束時間をはるかに超過してまで語り合い、普段の姿を露出することを極力避けていた彼としては異例に、カジュアルな服装のままの撮影にも応じた(髪の手入れをしておらず、帽子は脱げないと理解を求めた)。
20日に発売される写真集のことで慌しく動き回る職員らは、彼を「ヨンジュンさん」と呼びながら、気軽にあいさつを交わしていた。15人のスタッフがペ・ヨンジュンプロジェクトに明け暮れている現場だ。
−運動でずいぶん頬の肉が落ちていたが、もう回復したか。
「(にっと笑いながら)今は大丈夫だと思うんだが…。少しずつ回復している。体を鍛え終え撮影を開始しようと常連の美容室に寄ったが、私の顔を見て驚いていた。しかし、頬の肉があれほど落ちなければ、腹に“王”の字は刻まれない。タイで詰めの撮影をしていた際、あまりにも頬の肉が落ちてしまったので、果物を少し食べようとしたが、その場でマンゴスチンを70個も食べてしまったこともある」。
−日本では「ヨン様シンドローム」の理由として、ペ・ヨンジュンさんを通じて表れた純愛のイメージを挙げている。美少年の童話のような恋が人々を癒したというのだ。なのに、なぜ筋肉質の男性へと変身する険しい道のりを選んだのか。
「限界状況に対する、そして自分自身に対する挑戦が本当に必要だった。ダイエットは本当に辛かった。むしろ、運動をしている時の方が楽だと思えたほどだった。脂肪を取り除き、筋肉を作るためのダイエットをしたため、糖分と塩分を取ることができず、筋肉痙攣と睡眠障害に悩まされた。ある日、一睡もできず、トレーナーのイム・ジョンピルさんに『夜通し目をつぶっているだけだった』と話すと、『それでも筋肉は休んだはずだから、運動しに行こう』と言われた」。
「年配の日本のファンの方たちが私より純粋」
日本での『冬のソナタ』の大ヒットで、韓日文化交流の地形図を書き換えた「ヨン様」ペ・ヨンジュン(32)さんが18日夕、朝鮮日報と単独インタビューを行った。
ソウル・江南(カンナム)区・論硯(ノンヒョン)洞に位置する所属事務所で会ったペ・ヨンジュンさんは、「日本であれほどまで人気を集めるとは予想しなかった。私を愛してくださる韓国と日本のすべての方々に感謝する」と述べた。
6か月以上も外部との接触を絶っていたペ・ヨンジュンさんはこの日、「身に余る愛に大きな責任感を感じる。社団法人の設立など、何か社会に恩返しできる方法を探している」とした。
ペ・ヨンジュンさんは19日に青龍映画祭の手形モニュメントイベント、20日に写真集「The Image Vol. One」の発売と展示会の開幕行事に相次いで出席する。
2004年の一年、「ヨン様」ペ・ヨンジュンは玄海灘を行き来しながら、韓国と日本の両国を貫く社会現象となった。
特に、日本での彼の位相は「スター」という一言では規定することができないほどだった。400年前の朝鮮通信使以来、韓半島から吹きつけた熱風としては最高だと言われる“韓流”の震源地が彼であり、ドラマ『冬のソナタ』がNHKで放送されて以来、彼がインターネットホームページに載せる一言、CMで見せる小さな目線の動きや身振り、些細な情報などに、日本のファンは全身で反応した。
ペ・ヨンジュンの“痕跡”を求めて韓国を訪れる日本人観光客による経済効果は数千億ウォンに上るだろうと言われている。
18日午後、江南(カンナム)区・論硯(ノンヒョン)洞に位置するペ・ヨンジュンの所属事務所「BOF」でペ・ヨンジュンに会った。
一般家屋を改造した事務所の前には、日本女性3〜4人の2グループが中を覗いていた。「20分も待った」としながらも、記念写真を撮るなど楽しそうな表情だ。
事務所は若い職員で慌しい雰囲気だった。香港、ソウル、東京、ロサンジェルスにそれぞれ時間を合わせた丸い時計が掛けられ、緑の人工の竹の木が森林の雰囲気を漂わせる小さな応接間に、黒い帽子と濃い緑の皮のコートを羽織ったペ・ヨンジュンが姿を現した。
過去7か月間、マスコミへの露出を完全に遮断してきたペ・ヨンジュンだが、いざ面と向かって座った席では気楽さと余裕が感じられた。今月19日に行われる青龍映画祭の手形モニュメントイベントで人々の前に姿を現す心の準備をしたためだろうか。約束時間をはるかに超過してまで語り合い、普段の姿を露出することを極力避けていた彼としては異例に、カジュアルな服装のままの撮影にも応じた(髪の手入れをしておらず、帽子は脱げないと理解を求めた)。
20日に発売される写真集のことで慌しく動き回る職員らは、彼を「ヨンジュンさん」と呼びながら、気軽にあいさつを交わしていた。15人のスタッフがペ・ヨンジュンプロジェクトに明け暮れている現場だ。
−運動でずいぶん頬の肉が落ちていたが、もう回復したか。
「(にっと笑いながら)今は大丈夫だと思うんだが…。少しずつ回復している。体を鍛え終え撮影を開始しようと常連の美容室に寄ったが、私の顔を見て驚いていた。しかし、頬の肉があれほど落ちなければ、腹に“王”の字は刻まれない。タイで詰めの撮影をしていた際、あまりにも頬の肉が落ちてしまったので、果物を少し食べようとしたが、その場でマンゴスチンを70個も食べてしまったこともある」。
−日本では「ヨン様シンドローム」の理由として、ペ・ヨンジュンさんを通じて表れた純愛のイメージを挙げている。美少年の童話のような恋が人々を癒したというのだ。なのに、なぜ筋肉質の男性へと変身する険しい道のりを選んだのか。
「限界状況に対する、そして自分自身に対する挑戦が本当に必要だった。ダイエットは本当に辛かった。むしろ、運動をしている時の方が楽だと思えたほどだった。脂肪を取り除き、筋肉を作るためのダイエットをしたため、糖分と塩分を取ることができず、筋肉痙攣と睡眠障害に悩まされた。ある日、一睡もできず、トレーナーのイム・ジョンピルさんに『夜通し目をつぶっているだけだった』と話すと、『それでも筋肉は休んだはずだから、運動しに行こう』と言われた」。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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