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こんにちは、otokooidondogyansitaさん。

投稿者: xxchotto_toorimasuyoxx 投稿日時: 2007/07/02 10:21 投稿番号: [45460 / 85019]
前回の投稿について、交渉締結までを5年としましたが
明治元年の最初の挨拶とも言える開始時期から考えると
日朝修好条規の成立までは、9年かかっているようです。
(間違いがありましたら、指摘してください)

また、このようなものを見つけました。

>誠意・真心・信義などを尊ぶ日本の精神文化に基づく価値観との齟齬から出てきたものであり、華夷秩序の礼律を基盤とする朝鮮文化からすれば、格下に対するそのような(侮蔑 愚弄の)態度は理の当然であった。

  「話せば分かる」という考え方が通じるのは、文化的価値観を共有する場合、あるいはその接点が明確にある時である。

  明治6年の政府内における征韓の議論において、西郷隆盛が自分を特使として朝鮮に派遣するよう主張したが、「決死の覚悟を持って話し合いをする」という西郷の心構えは、日本人には理解できても当時の朝鮮官僚なら「倭奴の蛮勇」ぐらいにしか見なかっただろう。
  外交の何たるかをいささか知る岩倉具視が、西郷の意見に反対したのは、話し合いが決裂すれば、決死の覚悟の西郷は朝鮮で憤死し、国民から人気がある西郷がそのような死に方をして、日本が何もせぬわけにはいかないということになるからであった。当然、朝鮮との戦争しか道は無い。朝鮮はそうすれば、必ず清に援軍を要請する。清は積極的に属国の内政外交にまで干渉しないことを建前としているが、要請を受ければ宗主国として軍を出さざるを得ない。つまり20年早い日清戦争、いや日清朝戦争である。当時の日本にそれができる国力があったろうか。
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