京義線で思わざるを得ない事
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/11/18 04:07 投稿番号: [4456 / 85019]
京義線といえば、私はどうしても日露戦争を連想してなりません。
釜山を基点にソウル、平壌までを物流対象にした京釜線、また、勿論、釜山港そのもの、これらはすべてその当時、日本によって整備されました。
特に京釜線から京義線を経て中国へと向かう鉄路は、日本軍の兵站輜重を支える背骨となりました。
今世紀初めにいづれも、大倉財閥が中心になって傘下の土木企業(主に現在の大成建設が施工)に請け負わせていき、特に鉄道整備は何としても急がねばならず、この時、朝鮮側からは一進会所属の方々が何万と自主的に手弁当で手伝い、突貫工事を支えました。
これがなければ、日本軍は敗北は喫しなかったかも知れませんが(物流とて、これだけではないので)、苦戦が倍加したであろうことは容易に想像できます。
日本人と朝鮮人が初めて行った協同の一大建設事業であったと思い、今も双方にとって誇らしい事だと思います。
そして終戦まで、満州、朝鮮、日本の発展を支え、朝鮮動乱で完全に荒廃するまで機能していたわけです。
今日また、日本の支援で韓国は復興し、経済的には朴大統領の政策も奏功して、遂に京義線も本来の姿に戻る日がようやく来つつあります。朴大統領ならば、或いは日本側にも配慮したかも知れませんが、現政権では大倉、大成、一進会、日露戦争の事などが配慮されることは決してないでしょう。
そういった点は、いつも思うのですが、台湾やタイ、インドネシアなど他の国と違い、実に寂しい感を禁じ得ない国であります。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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