Re: 文化伝搬の中継もしていない朝鮮
投稿者: waracchauyo5 投稿日時: 2007/04/18 08:33 投稿番号: [39168 / 85019]
>239年
卑弥呼が魏に使いを送る
魏志の「倭人伝」によると、239年、邪馬台国の女王・卑弥呼は魏に船で使いを送り、「親魏倭王」の称号を受けたとのこと。卑弥呼は「あやし」(まじない)によって国を治めていたと。
弥生時代は、日本で稲作が始まった。
413年、倭王が晋に使者を送った。
478年
倭王武が中国の南朝と交流。
宋書の「倭国伝」に、5世紀ごろ、讃・珍・済・興・武の倭の五王がいる。船による交流があったと記録。<
わざわざ、船とあるところだけ削ることはないだろう?(笑)
中国の史書には、常に船、つまり海路とある。
遣随使の前にも数度、大和から使節団が来たとあり、服属していない、独立心が強く、中国側が興味津々だったともある。
朝鮮半島を経由した節はまったくない。海路は九州方面から直接、大陸側をめざし、現在の青島付近が上陸地点だったらしい。朝鮮半島を陸路で行くと、逆方向に進むことになり、大変な迂回で、敵地でもある。そこを何ヶ月もかけて、多人数の使節が食料を抱えて、歩いていく、馬を使うなどということはない。
感覚的に考えても、常識的に考えても、ありえない。
従って、卑弥呼側も、朝貢していたという意識はまったくなく、お互いを意識して、挨拶しあったと考えるのが自然。
服属していない、という表現と、聖徳太子が、双方を天子と表現したあたりからも、大和側にはそんな意識がないことは確認できる。
魏書東夷伝倭人の項目と、当時、他の民族の朝貢の様子を比較すると、大和に関しては、外交であった(中国側は、当時、外交とは考えず、会って、物々交換的に挨拶の品を交換しただけで、朝貢と書く)。
何故、そう考えられるかというと、大和が朝鮮南部だけ支配している間、中国側に服属した気配もなければ、記録もないからだ。
そして、高句麗、唐をはじめ、大和は、常に大陸側とぶつかっている。
朝貢関係があるのなら、その後、何らかの朝貢が続いたはずであり、その記録が双方に残る。
そんなものはまったくないところからも、大和側にはまったく朝貢意識も服属意識もないことは中国側の研究者も等しく認めている。
これは メッセージ 39162 (nayamimuyou200610 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/39168.html