韓国

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 文化伝搬の中継もしていない朝鮮

投稿者: nayamimuyou200610 投稿日時: 2007/04/18 07:05 投稿番号: [39162 / 85019]
>この間、書いた通り、どう考えても、中国の史書、日本書紀から考えて、中国と日本は、少なくとも1世紀頃から直接交流しており、朝鮮がその仲立ちに入っていたことを証明する、傍証する史書はどこにもない。
後漢書の「東夷伝」によると、57年、倭の小国・奴国の国王が後漢に使いを送り、「漢委奴国王」という金印を送った。
239年   卑弥呼が魏に使いを送る
魏志の「倭人伝」によると、239年、邪馬台国の女王・卑弥呼は魏に船で使いを送り、「親魏倭王」の称号を受けたとのこと。卑弥呼は「あやし」(まじない)によって国を治めていたと。<

  「三国志」魏書東夷伝倭人の条(読み下し文)
  景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わして郡に詣らしめ、天子に詣りて朝献せんことを求む。太守劉夏、吏を遣わして将て送りて京都に詣らしむ。
  其の年の十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「親魏倭王卑弥呼に制詔(みことのり)す。帯方太守劉夏、使を遣わして汝が大夫難升米・次使都市牛利を送り、汝が献ずる所の生口六人・班布二匹二丈を奉じて、以て到らしむ。汝が在る所踰かに遠きも、乃ち使を遣わして貢献す。是れ汝の忠孝、我、甚だ汝を哀しむ。今、汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮えん。装封して帯方太守に付して仮授せしむ。汝其れ種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。汝が来使難升米・牛利、遠きを渉り、道路に勤労せり。今、難升米を以て率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為し、銀印青綬を仮え、引見労賜して還らしめん。今、絳地の交龍錦五匹・絳地の(スウ)「糸」「芻」栗(ケイ)十張・(セン)「クサカンムリ」「倩」絳五十匹・紺青五十匹を以て、汝が献ぜし所の貢直に答えん。又た特に汝に紺地の句文錦三匹・細班華(ケイ)五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各おの五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付し、還り到りて録受せしめん。悉く以て汝が国中の人に示し、国家の汝を哀しむを知らしむべく、故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。
  正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わして、詔書・印綬を奉じて倭国に詣らしめ、倭王に拝仮し、并せて詔を齎(もたら)し金・帛・錦(ケイ)・刀・鏡・采物を賜う。倭王、使に因って上表し、恩詔に答謝す。
  其の六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、郡に付して仮授せしむ。
  其の八年、太守王錣、官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣らしめ、相攻撃するの状を説く。塞曹錺史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢を齎し、難升米に拝仮せしめ、檄を為りてこれに告喩す。
  卑弥呼、以に死し、大いに冢を作る。径、百余歩、錵葬する者、奴婢百余人。更に男王立つるに、国中、服せず、更ごも相誅殺し、時に当たりて千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女壱与、年十三なるを立てて王と為し、国中、遂に定まる。政等、檄を以て壱与に告喩し、壱与、倭の大夫率善中郎錻邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って台に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・青大勾珠二枚・異文雑錦二十匹を貢ぐ。

上記の記述から、卑弥呼は帯方太守劉夏に朝貢していたことが分かる。陸路か海路かは分からないが、使者は朝鮮半島を旅したんだろうね。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)