toshiapalさんへ
投稿者: nayamimuyou200610 投稿日時: 2007/04/10 22:11 投稿番号: [38300 / 85019]
Elgfaret氏のご指摘により、言葉が足りなかったようなので一部訂正と追加します。
>17世紀前半、16代朝鮮国王:仁祖の時代から清国の属国(諸侯)となったのは歴史上の事実でしょう。私から言わせれば、三跪九叩頭の礼も三拝一礼も、作法としては同一視できるものなので、抵抗無く出来たと思いますね。<
を下記のに訂正します。
17世紀に入ると満州(中国東北部)で女真族が建てた後金が勃興、李氏朝鮮と対峙するようになった。1627年には後金が朝鮮へ侵攻した(丁卯胡乱)が膠着し、両者が兄弟関係を結ぶことで講和した(丁卯約条)。後金は1636年、ホンタイジが皇帝を称し、国号を清と変更すると、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めた。しかし現実主義者で外交感覚に優れた光海君と違い、空虚で錆付いた華夷思想に染まっていた時の朝鮮王仁祖にとって、永く朝貢を受ける相手であった女真族の要求は到底呑めるものではなかった。仁祖が朝貢を拒絶し、清皇帝を認めないと公表すると、激怒したホンタイジは直ちに朝鮮への親征を行った(丙子胡乱)。清の圧倒的な兵力の前に各地で惨敗を重ねた朝鮮軍は為すすべも無く45日で降伏。和議が持たれた。講和内容は11項目に及び、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的なものであった。そればかりか仁祖は三田渡で、ホンタイジに対し三跪九叩頭の礼を以って清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わった。(ソース:Wikipedia)
しかし私から言わせれば、三跪九叩頭の礼も三拝一礼も、作法としては同一視できるものなので、抵抗無く出来たと思いますね。私自身、父母の祭祀には、三拝一礼を挨拶、仏の食事、さようならの都合三回、作法としてしますからね。
>屈辱的と考えられているのは、清国の属国であったという事ではないでしょうかね。<
を下記に訂正します。
屈辱的と考えられているのは、朝鮮では古来から同国にも朝貢に来ていた女真族を「北狄/オランケ」(野蛮人)と蔑すんでいたのに、17世紀前半、16代朝鮮国王:仁祖の時代に立場が逆転し、清国(女真族)から冊封を受け朝貢する羽目になった事でしょうかね。
>17世紀前半、16代朝鮮国王:仁祖の時代から清国の属国(諸侯)となったのは歴史上の事実でしょう。私から言わせれば、三跪九叩頭の礼も三拝一礼も、作法としては同一視できるものなので、抵抗無く出来たと思いますね。<
を下記のに訂正します。
17世紀に入ると満州(中国東北部)で女真族が建てた後金が勃興、李氏朝鮮と対峙するようになった。1627年には後金が朝鮮へ侵攻した(丁卯胡乱)が膠着し、両者が兄弟関係を結ぶことで講和した(丁卯約条)。後金は1636年、ホンタイジが皇帝を称し、国号を清と変更すると、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めた。しかし現実主義者で外交感覚に優れた光海君と違い、空虚で錆付いた華夷思想に染まっていた時の朝鮮王仁祖にとって、永く朝貢を受ける相手であった女真族の要求は到底呑めるものではなかった。仁祖が朝貢を拒絶し、清皇帝を認めないと公表すると、激怒したホンタイジは直ちに朝鮮への親征を行った(丙子胡乱)。清の圧倒的な兵力の前に各地で惨敗を重ねた朝鮮軍は為すすべも無く45日で降伏。和議が持たれた。講和内容は11項目に及び、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的なものであった。そればかりか仁祖は三田渡で、ホンタイジに対し三跪九叩頭の礼を以って清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わった。(ソース:Wikipedia)
しかし私から言わせれば、三跪九叩頭の礼も三拝一礼も、作法としては同一視できるものなので、抵抗無く出来たと思いますね。私自身、父母の祭祀には、三拝一礼を挨拶、仏の食事、さようならの都合三回、作法としてしますからね。
>屈辱的と考えられているのは、清国の属国であったという事ではないでしょうかね。<
を下記に訂正します。
屈辱的と考えられているのは、朝鮮では古来から同国にも朝貢に来ていた女真族を「北狄/オランケ」(野蛮人)と蔑すんでいたのに、17世紀前半、16代朝鮮国王:仁祖の時代に立場が逆転し、清国(女真族)から冊封を受け朝貢する羽目になった事でしょうかね。
これは メッセージ 38246 (toshispal さん)への返信です.
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