自慰史観では日本は滅びる
投稿者: foryoufor 投稿日時: 2004/10/31 01:51 投稿番号: [3803 / 85019]
自分だけが満足してしまう自慰史観。基礎的な歴史的事実を知らない若者が「侵略」を否定する本に出会い、そのまま信じてしまう。日本史の教科書に記載されていない「事実」「解釈」「視点」に触れると脳内麻薬が噴出するようです。
彼らに共通するのは、「侵略された側の視点」がまったくないこと。アジア・アフリカ諸国の視点ではなく、「侵略した」欧米の帝国主義史観しかないことは致命的です。
過去の晴れがましい事ばかりみせて「愛国心」を育もうとするのならば、真の「愛国心」は芽生えるわけはありません。嘘で固められたメッキは簡単にはがれるでありましょう。
古代日本人は、 出雲大社に象徴されるように 、自分の権力欲の為に倒した相手を、手厚く弔う風習がありました。
侵略された側で、物事を考える。相手への非礼は素直な心で詫びる。このような「謙虚な心」こそ日本人の生き方ではありませんか?
「原爆投下は正しかった」などと記述した教科書を採用している米帝と同じにはなってほしくないと、俺は考えます。
国の古を慕い、その栄光を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避せる責任を記憶し、その蹂躙せる人道を反省するは、愛国心の至れるものにあらずや。
(中略)我が国の愛国心なるもの、(中略)滔々たる天下歴史に心酔するにあらざれば、悲歌慷慨、外に対して意地を張らんとするに過ぎざるなり。
自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。
(植村正久「三種の愛国心」『福音新報』明治二九年六月二六日号、『植村正久著作集』1所載による
【植村正久】(1857〜1925)は下谷教会、麹町一番町教会(現・富士見町教会)牧師として伝道のかたわら明治学院神学部教授として初期明治学院創成に尽力した。旧約聖書翻訳委員の一人として「詩篇」「雅歌」「イザヤ書」の翻訳、「新撰賛美歌」の編集。また雑誌『福音新報』『日本評論』における福音主義の立場に立つ文明批評、さらには西欧文学の紹介、評論など近代日本文学の発展にも貢献した。1903年明治学院を辞任し、東京神学社を創立。外国ミッション団体によらない日本人のための日本人による神学教育を志した。 日露戦争に対しては内村鑑三の非戦論を批判して自衛戦争の必要性を説き、 小崎弘道・海老名弾正らとともに主戦論を主張した。
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%bb%d9%c7%db%a4%b5%a4%ec%a4%bf%a4%ac%a4%eb%a1%a1%a4%b3%a4%ce%b9%f1%a4%ce%bf%cd%c3%a3/0000141088.html
彼らに共通するのは、「侵略された側の視点」がまったくないこと。アジア・アフリカ諸国の視点ではなく、「侵略した」欧米の帝国主義史観しかないことは致命的です。
過去の晴れがましい事ばかりみせて「愛国心」を育もうとするのならば、真の「愛国心」は芽生えるわけはありません。嘘で固められたメッキは簡単にはがれるでありましょう。
古代日本人は、 出雲大社に象徴されるように 、自分の権力欲の為に倒した相手を、手厚く弔う風習がありました。
侵略された側で、物事を考える。相手への非礼は素直な心で詫びる。このような「謙虚な心」こそ日本人の生き方ではありませんか?
「原爆投下は正しかった」などと記述した教科書を採用している米帝と同じにはなってほしくないと、俺は考えます。
国の古を慕い、その栄光を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避せる責任を記憶し、その蹂躙せる人道を反省するは、愛国心の至れるものにあらずや。
(中略)我が国の愛国心なるもの、(中略)滔々たる天下歴史に心酔するにあらざれば、悲歌慷慨、外に対して意地を張らんとするに過ぎざるなり。
自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。
(植村正久「三種の愛国心」『福音新報』明治二九年六月二六日号、『植村正久著作集』1所載による
【植村正久】(1857〜1925)は下谷教会、麹町一番町教会(現・富士見町教会)牧師として伝道のかたわら明治学院神学部教授として初期明治学院創成に尽力した。旧約聖書翻訳委員の一人として「詩篇」「雅歌」「イザヤ書」の翻訳、「新撰賛美歌」の編集。また雑誌『福音新報』『日本評論』における福音主義の立場に立つ文明批評、さらには西欧文学の紹介、評論など近代日本文学の発展にも貢献した。1903年明治学院を辞任し、東京神学社を創立。外国ミッション団体によらない日本人のための日本人による神学教育を志した。 日露戦争に対しては内村鑑三の非戦論を批判して自衛戦争の必要性を説き、 小崎弘道・海老名弾正らとともに主戦論を主張した。
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%bb%d9%c7%db%a4%b5%a4%ec%a4%bf%a4%ac%a4%eb%a1%a1%a4%b3%a4%ce%b9%f1%a4%ce%bf%cd%c3%a3/0000141088.html
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/3803.html