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(4)経済の破綻と民衆生活

投稿者: foryoufor 投稿日時: 2004/10/30 23:10 投稿番号: [3774 / 85019]
東南アジアの諸地域はイギリス、フランス、オランダなどの宗主国やアメリカとの間で世界的な貿易のネットワークを作っていた。また1930年代になると中国や日本の軽工業製品も入ってきていた。たとえば英領マラヤでは、輸出品としてはゴムとスズが中心だった。開戦前、ゴムは世界総生産の約4割、スズは約三分の一を占める、マラヤの二大産業だった。輸出先は圧倒的にアメリカだった。輸入品としては、シンガポールが中継・加工貿易の拠点であったことから、石油(蘭印、英領ボルネオから)、ゴム(蘭印)、スズ(蘭印、タイ)、米(タイ)などを輸入していた。要するにゴム、スズのマラヤの特産品と蘭印などから輸入した原材料を中継あるいは加工してアメリカに輸出し、食糧はタイなど周辺地域から、工業製品はアメリカやイギリスから輸入するという構造になっていた。

蘭印の場合は、石油などの鉱産物やゴム、キナ皮、コショウ、コプラなどの農作物を輸出し、工業製品を輸入するという構造であった。輸出先は、アメリカ、オランダ、イギリス、日本などである。シンガポール向けも多いが、これはすでに述べたようにそこを経由して上記の国々に輸出されていた。輸入はアメリカ、オランダ、日本などからである。

フィリピンの場合は、輸出入ともにほぼ全面的にアメリカに依存していた。砂糖、ココナッツ製品、マニラ麻などをアメリカに輸出し、工業製品をアメリカから輸入するという構造で、貿易に占めるアメリカの比重は1930年代には70%台にもなっていた。フランス領インドシナはフランス本国と、ビルマはイギリス、インドと密接に結びついていた。

このように東南アジアはその域内ならびにアメリカ、イギリスなどの先進工業国と深い交易関係を結んでいた。

日本とこれらの地域との関係は、1930年代においてはフィリピンにとっては輸出入ともに日本はアメリカについで第2位、タイと蘭印にとって輸入で第2位の位置をしめていた。 ただその比率は大きくても十数パーセントにすぎなかった。日本からの輸出品は綿織物を中心とする繊維製品であり、ほかに雑貨類や加工飲食料品などを含めて、消費財の軽工業品が圧倒的な比重を占めていた。日本の輸入品は生ゴム、石油、鉄鉱、マニラ麻などの燃料・原料が中心であった。

日本軍による占領によって、東南アジアと外部地域との交易関係は断たれ、また東南アジア内の交易関係も寸断された。日本にはこれらの地域の産物をすべて引き受け、またこれらの地域で必要な工業製品を供給する力はなかった。日本国内でも日中戦争開始以来、物資不足が深刻化し、食糧や衣類などの配給制、切符制が実施されるようになっていた。軍需生産のために、国民にとって必要な物資さえも満足に供給できなくなっていたのであり、広大な「大東亜共栄圏」に工業製品を供給することははじめから不可能であった。

ゴム、砂糖、コーヒーなどの輸出品は輸出先を失い、そこで働いていた労働者は職を失った。必要な工業製品は入ってこなくなった。そのうえ日本軍は「現地自活」方針をとって駐留する日本軍に必要な食糧や物資を現地調達したために物不足は深刻になり、軍票の乱発とあわさってひどいインフレに陥った。

日本は1943年後半よりこの地域で必要な工業製品を地元で生産する方針に転換したがうまくいかなかった。食糧を輸入に頼っていたマラヤ、フィリピンなどでは食糧自給のために商品作物から米やとうもろこしへの転換が図られたが、日本軍に食糧を供出させられたこともあり、深刻な食糧不足に陥った。食糧の多くを輸入に頼っていたマラヤでは人々はさつまいもやタピオカを作った。タピオカはキャッサバから作ったでんぷんであり、マレーシアでは日本占領時代が食糧難の時代であったことから「タピオカ時代」と呼んでいる。

食糧問題で最も深刻だったのはベトナムだった。ベトナム北部では1944年末から45年にかけて、100万とも200万人とも言われる多数の餓死者を出した。タイビン省だけの調査でも人口100万人のうち約28万人が犠牲になった。この原因としては、日本軍による強制的な食糧の徴発、水田を潰して軍事物資であるジュート(黄麻)への作付けの転換を強制したこと、戦況の悪化などの理由により南部のデルタ地帯からの米の輸送が途絶えたことなどが指摘されている。

日本軍の占領地域ではないが、インド東部のベンガル地方で1943年末から44年にかけて大飢饉が発生し、約150万人(一説によると約350万人)が餓死した。これはビルマが日本軍によって占領されたことによって米の輸入が途絶えたこと、日本軍のインド侵攻(44年3月よりインパール作戦開始)にあたって、英軍が牛車や小船などの輸送手段を徴発する一方で食糧輸送の手だてを行なわなかったことなどによる。日英の二つの帝国主義国の犠牲になった出\xCD
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