韓国人が日本の少女暴行」米の学校教材⑮
投稿者: hyugeru29 投稿日時: 2007/01/20 17:50 投稿番号: [32768 / 85019]
<4>日誌につづられた悲劇
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060810.htm
◆相談員だった母…暴行・妊娠を聞き取り
戦後、九州で博多港とともに中国大陸などからの主な引き揚げ先となった長崎県・佐世保港。佐世保市に住む中山與子(ともこ)さん(66)の母、西村二三子さんは、終戦翌年の1946年5月、佐世保引揚援護局が設置した「婦人相談所」の相談員だった。西村さんは77年に70歳で亡くなったが、その数年前に相談員だったことを中山さんに打ち明けていた。
「相談員当時の母は、朝早く家を出て、夜には消毒薬のにおいをさせながら帰宅していました。でも、何の仕事をしているのか、具体的には全くわかりませんでした」。中山さんは振り返る。
相談員を務めたのは、女性誌「婦人之友」の愛読者グループ「友の会」会員の主婦たち。15〜50歳の女性引き揚げ者を対象に、引き揚げ中に暴行を受け、妊娠していないかどうかを聞き出し、妊娠している場合は、中絶手術を受けさせることが役目だった。
■
相談員だったことを打ち明けた西村さんは、「問診日誌」と題した、便せんをとじ込んだつづりを中山さんに手渡した。西村さんら相談員による聞き取り記録で、女性たちが満州(現中国東北部)などで受けた暴行被害が克明に記されていた。
▽16歳の女学生がソ連軍(当時)の司令のところに連れて行かれ、暴行されそうになったので、見るに見かねて身代わりとなった。
▽ソ連兵から女性を要求されたため、売春をしていた女性を雇いに行く途中に暴民に金を奪われた。やむを得ず、未婚の女性47人を出し、足りないので、さらに未婚の女性80人を出した――。
日誌では引き揚げ者の女性たちは、つらい体験を具体的に語っていた。だが、暴行のために妊娠した女性について、佐世保引揚援護局史には、「婦人相談所で事情を調査し、療養処置を要する婦女子は国立佐賀療養所(現在の東佐賀病院)に移送した」としか記されておらず、実態は明らかではない。
■
佐賀療養所でどのような治療が行われたのか――。同援護局史には書かれていない事実の一端が、一通の手紙からうかがえる。
手紙は戦争にまつわる女性の被害を調べていた九大医学部卒の産婦人科医・天児都(あまこくに)さん(71)(福岡市城南区)が97年、九大医学部産婦人科教室OBの医師数人に尋ねたところ、1人から送られてきたものだ。
「厚生省(当時)に助教授が招かれ、(中絶手術を行うように)指示があった」「(産婦人科教室の医師が)1、2か月交代で佐賀療養所に行っていた。患者の大部分はソ連兵や現地住民に暴行されて妊娠した人で、妊娠中絶が主な仕事だった」――。
厚生省の指示によって、国立病院で、当時は原則として違法だった中絶手術を国立大医学部の医師たちがひそかに行っていた――と告白する内容だった。
■
組織ではなく、個人的に中絶手術を手がけたという医師もいる。博多引揚援護局が福岡県筑紫野市に設置した二日市保養所に下宿しながら九大医学部に通った東京医科大名誉教授・相馬広明さん(84)(東京都世田谷区)。
相馬さんは終戦後、国立福山病院(広島県福山市、現在の福山医療センター)で、18歳くらいの女性の手術をした。卵巣の腫瘍(しゅよう)だと診察したが、開腹して妊娠と判明。慌てて腹部を縫い合わせ、麻酔から目を覚ました女性に聞くと、「実は終戦直後にソ連兵に暴行された」と打ち明けられた。
相馬さんは女性に中絶手術をし、ほかにも同様の手術を数件行ったという。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060810.htm
◆相談員だった母…暴行・妊娠を聞き取り
戦後、九州で博多港とともに中国大陸などからの主な引き揚げ先となった長崎県・佐世保港。佐世保市に住む中山與子(ともこ)さん(66)の母、西村二三子さんは、終戦翌年の1946年5月、佐世保引揚援護局が設置した「婦人相談所」の相談員だった。西村さんは77年に70歳で亡くなったが、その数年前に相談員だったことを中山さんに打ち明けていた。
「相談員当時の母は、朝早く家を出て、夜には消毒薬のにおいをさせながら帰宅していました。でも、何の仕事をしているのか、具体的には全くわかりませんでした」。中山さんは振り返る。
相談員を務めたのは、女性誌「婦人之友」の愛読者グループ「友の会」会員の主婦たち。15〜50歳の女性引き揚げ者を対象に、引き揚げ中に暴行を受け、妊娠していないかどうかを聞き出し、妊娠している場合は、中絶手術を受けさせることが役目だった。
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相談員だったことを打ち明けた西村さんは、「問診日誌」と題した、便せんをとじ込んだつづりを中山さんに手渡した。西村さんら相談員による聞き取り記録で、女性たちが満州(現中国東北部)などで受けた暴行被害が克明に記されていた。
▽16歳の女学生がソ連軍(当時)の司令のところに連れて行かれ、暴行されそうになったので、見るに見かねて身代わりとなった。
▽ソ連兵から女性を要求されたため、売春をしていた女性を雇いに行く途中に暴民に金を奪われた。やむを得ず、未婚の女性47人を出し、足りないので、さらに未婚の女性80人を出した――。
日誌では引き揚げ者の女性たちは、つらい体験を具体的に語っていた。だが、暴行のために妊娠した女性について、佐世保引揚援護局史には、「婦人相談所で事情を調査し、療養処置を要する婦女子は国立佐賀療養所(現在の東佐賀病院)に移送した」としか記されておらず、実態は明らかではない。
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佐賀療養所でどのような治療が行われたのか――。同援護局史には書かれていない事実の一端が、一通の手紙からうかがえる。
手紙は戦争にまつわる女性の被害を調べていた九大医学部卒の産婦人科医・天児都(あまこくに)さん(71)(福岡市城南区)が97年、九大医学部産婦人科教室OBの医師数人に尋ねたところ、1人から送られてきたものだ。
「厚生省(当時)に助教授が招かれ、(中絶手術を行うように)指示があった」「(産婦人科教室の医師が)1、2か月交代で佐賀療養所に行っていた。患者の大部分はソ連兵や現地住民に暴行されて妊娠した人で、妊娠中絶が主な仕事だった」――。
厚生省の指示によって、国立病院で、当時は原則として違法だった中絶手術を国立大医学部の医師たちがひそかに行っていた――と告白する内容だった。
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組織ではなく、個人的に中絶手術を手がけたという医師もいる。博多引揚援護局が福岡県筑紫野市に設置した二日市保養所に下宿しながら九大医学部に通った東京医科大名誉教授・相馬広明さん(84)(東京都世田谷区)。
相馬さんは終戦後、国立福山病院(広島県福山市、現在の福山医療センター)で、18歳くらいの女性の手術をした。卵巣の腫瘍(しゅよう)だと診察したが、開腹して妊娠と判明。慌てて腹部を縫い合わせ、麻酔から目を覚ました女性に聞くと、「実は終戦直後にソ連兵に暴行された」と打ち明けられた。
相馬さんは女性に中絶手術をし、ほかにも同様の手術を数件行ったという。
これは メッセージ 32765 (hyugeru29 さん)への返信です.
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