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韓国人が日本の少女暴行」米の学校教材⑭

投稿者: hyugeru29 投稿日時: 2007/01/20 14:52 投稿番号: [32765 / 85019]
<3>麻酔なしの中絶手術
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060803.htm
◆恨みと怒りの声、手術室に響く
  引き揚げ先の博多港から「二日市保養所」(福岡県筑紫野市)に到着した女性たちは、数日間の休養の後、手術室に通された。
  麻酔はない。手術台に横たわると、目隠しをしただけで手術が始まった。医師が、長いはさみのような器具を体内に挿入して胎児をつかみ出す。
  「生身をこそげ取るわけだから、それはそれは、痛かったでしょう」。看護師として手術に立ち会った村石正子さん(80)(同)は、硬い表情で思い返す。ほとんどの女性は、歯を食いしばり、村石さんの手をつぶれそうなほど強く握りしめて激痛に耐えたが、1人だけ叫び声を上げた。「ちくしょう」――。手術室に響いたのは、痛みを訴えるものではなく、恨みと怒りがない交ぜになった声だった。
  おなかが大きくなっている女性には、陣痛促進剤を飲ませて早産させた。「泣き声を聞かせると母性本能が出てしまう」と、母体から出てきたところで頭をはさみのような器具でつぶし、声を上げさせなかった。
  幾多の手術に立ち会った村石さんには、忘れられない“事件”がある。陣痛促進剤を飲んで分べん室にいた女性が、急に産気づいた。食事に行く途中だった村石さんが駆けつけ、声を上げさせないために首を手で絞めながら女児を膿盆(のうぼん)に受けた。白い肌に赤い髪、長い指――。ソ連(当時)の兵隊の子供だと一目でわかった。医師が頭頂部にメスを突き立て、膿盆ごと分べん室の隅に置いた。
  食事を終えて廊下を歩いていると、「ファー、ファー」という声が聞こえた。「ネコが鳴いているのかな」と思ったが、はっと思い当たった。分べん室のドアを開けると、メスが突き刺さったままの女児が、膿盆のなかで弱々しい泣き声をあげていた。村石さんに呼ばれた医師は息をのみ、もう一本頭頂部にメスを突き立てた。女児の息が止まった。
  死亡した胎児の処理は、看護師のなかで最も若かった吉田はる代さん(78)(埼玉県川口市)らの仕事だった。手術が終わると、庭の深い穴に落とし、薄く土をかぶせた。
  手術を終えた女性は2階の大部屋で布団を並べ、体を休めた。会話もなく、横になっているだけ。大半は目をつぶったままで、吉田さんは「自分の姿を見られたくなかったから、ほかの人も見ないようにしていたのでしょう」と振り返る。
  女性たちは1週間ほどで退院していった。村石さんは「これから幸せになって」と願いを込めながら、薄く口紅を引いて送り出した。中絶手術や陣痛促進剤による早産をした女性は、400〜500人にのぼると見られる。
  1947年7月に設立された済生会二日市病院は、二日市保養所の建物の一部を共同で使用していた。設立当初の同病院に勤務していた島松圭輔さん(89)(筑紫野市)は、保養所の医師らと一緒に食事をしたこともあったが、仕事の話は一切出なかった。
  島松さんは、二日市保養所が閉鎖されたのは「47年秋ごろ」と記憶している。一緒に食事をしたことがあった医師らのあいさつもなく、「誰もいなくなったな」と感じた時には、約1年半にわたった業務を既に終えていた。
  二日市保養所の跡地に立つ特別養護老人ホームでは毎年5月、水子地蔵の前で水子供養祭が行われている。今年の供養祭では村石さんも静かに手を合わせたが、当時を思い出しながら、むせび泣いた。「私はこの手で子供の首を絞めたんです。60年前、ここの手術室にいた私の姿は忘れられません……」
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