神道は朝鮮から風と共にやってきた
投稿者: sinra_saburou 投稿日時: 2006/12/21 19:40 投稿番号: [31075 / 85019]
秦氏と八幡信仰
このような信仰を日本に最初にもたらしたのは,5世紀前後,新羅・加羅から渡来した<秦氏>であるとされている。秦氏は宇佐地方に<秦王国>を築き,ここを拠点としてさらに近畿地方にも進出していき,仁徳天皇陵など巨大古墳の築造,山城国の開発などを行い,勢力を伸ばしていった。
宇佐地方には香春山を神体山として崇拝する信仰があり,もともと八幡宮は香春山の麓の<秦王国>にあったようだ。ここで、秦氏が持ち込んだ信仰を原始八幡信仰と呼ぶことにする。香春は「かはる」と読む。もとは<カル>と発音していたそうだ。そして,<カル>とは古朝鮮語で金属、特に銅のことをさしている。ちなみに,奈良,飛鳥の天香具山の「カグ」も「カル」のことであり、この山から出た銅を使って鏡(カガミ)や矛を作ったのである。
鍛冶とは、古代においては神と交わり、火と風と水と金属を制御する技術,いや<秘術>であり、とても神聖なものとみなされていた。そして,金属器を鋳造することが古代シャーマンの仕事でもあった。古代では職人、技術者は祭祀者でもあったのだ。特に,火を制御する鳥が鍛冶シャーマンのシンボルであり,秦氏の場合、神の鳥のシンボルは「鷹」だった。
今では八幡神の眷族はハトになっている,秦氏が渡来した5世紀頃は鷹が眷族だったことになる。韓国に今も残るソッテにも,そのてっぺんに魔除けの鷹の形象物が据え付けられている事例がある。
いずれにしても,古代シャーマンは,鍛冶や鋳造を神のなせる業として神聖視し、金属神の使いである鳥のしぐさをまねる儀式を行っていたようである。銅鐸に,鳥装のシャーマンの線刻画が掘られているのも,単なる農耕儀礼だけではなかったのではないだろうか。
鍛冶に使うふいごを<タタラ>と言う。『古事記』の神武天皇の段には、「三輪の大物主神」が丹塗りの矢となって、三島溝咋(みしまのみぞいく)という人の娘である勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)と通じて、富登多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)を生んだ,とある。この姫は別名、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といい、のち神武天皇の皇后になるという記述がある。
この記述の中の<タタラ>の名をもつ女性も鍛冶,金属器鋳造にシャーマンが関わっていたことを暗示しているのではないだろうか。日本には、原材料となる鉄鉱石は乏しかったわけだが、火山が多いために良質の砂鉄が大量に採掘されていた。このため、砂鉄を加熱して溶かして,鉄塊を精製する特殊な製鉄技術が発達した。この独特の製鉄技術を「タタラ製鉄」と呼んだ。そして,このタタラ製鉄を行っていた人々を稲作農民たちは「山の民」として異人視し,「タタラ者」,「山内者」と呼んでいた。いうなれば,タタラ者は古代朝鮮から渡来してきた金属鋳造技術者集団の末裔なのだ。
実際,香春山には古い採銅所があって、今では閉山しているが,かつてはここで採取された銅から八幡宮の神鏡が作られていた。採銅所には「元宮八幡宮」がある。ここが本来のヤハタの宮があった場所と考えられる。香春山の一の岳は今ではセメント材料の石灰を採集するために半分にまで削り取られているが,その昔は<金属神の山>だった。
この秦氏の朝鮮風の習俗=原始八幡信仰が次第に日本化していって、応神八幡信仰、八幡大菩薩信仰、武神八幡信仰の順に変わっていったものと考えられる。
ttp://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatiman.htm
>養蚕
京都太秦に行ってごらんよ
養蚕・機織の技術にすぐれた秦氏ゆかりの神社です。
正式名称は、木島坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社。略して木島神社といいますが、本殿の向かって右側に祀られている養蚕神社に因み「蚕の社」の名前で知られています。
境内に元糺(もとただす)の池があます。池の中に鳥居を三つ組み合わせた三つ鳥居があります(写真)。なぜこのような形をしているのかは、わかっていません。残念ながら池の水は、涸れたままのようです。
【アクセス】京福電鉄嵐山線蚕ノ社駅または市バス蚕ノ社下車
このような信仰を日本に最初にもたらしたのは,5世紀前後,新羅・加羅から渡来した<秦氏>であるとされている。秦氏は宇佐地方に<秦王国>を築き,ここを拠点としてさらに近畿地方にも進出していき,仁徳天皇陵など巨大古墳の築造,山城国の開発などを行い,勢力を伸ばしていった。
宇佐地方には香春山を神体山として崇拝する信仰があり,もともと八幡宮は香春山の麓の<秦王国>にあったようだ。ここで、秦氏が持ち込んだ信仰を原始八幡信仰と呼ぶことにする。香春は「かはる」と読む。もとは<カル>と発音していたそうだ。そして,<カル>とは古朝鮮語で金属、特に銅のことをさしている。ちなみに,奈良,飛鳥の天香具山の「カグ」も「カル」のことであり、この山から出た銅を使って鏡(カガミ)や矛を作ったのである。
鍛冶とは、古代においては神と交わり、火と風と水と金属を制御する技術,いや<秘術>であり、とても神聖なものとみなされていた。そして,金属器を鋳造することが古代シャーマンの仕事でもあった。古代では職人、技術者は祭祀者でもあったのだ。特に,火を制御する鳥が鍛冶シャーマンのシンボルであり,秦氏の場合、神の鳥のシンボルは「鷹」だった。
今では八幡神の眷族はハトになっている,秦氏が渡来した5世紀頃は鷹が眷族だったことになる。韓国に今も残るソッテにも,そのてっぺんに魔除けの鷹の形象物が据え付けられている事例がある。
いずれにしても,古代シャーマンは,鍛冶や鋳造を神のなせる業として神聖視し、金属神の使いである鳥のしぐさをまねる儀式を行っていたようである。銅鐸に,鳥装のシャーマンの線刻画が掘られているのも,単なる農耕儀礼だけではなかったのではないだろうか。
鍛冶に使うふいごを<タタラ>と言う。『古事記』の神武天皇の段には、「三輪の大物主神」が丹塗りの矢となって、三島溝咋(みしまのみぞいく)という人の娘である勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)と通じて、富登多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)を生んだ,とある。この姫は別名、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といい、のち神武天皇の皇后になるという記述がある。
この記述の中の<タタラ>の名をもつ女性も鍛冶,金属器鋳造にシャーマンが関わっていたことを暗示しているのではないだろうか。日本には、原材料となる鉄鉱石は乏しかったわけだが、火山が多いために良質の砂鉄が大量に採掘されていた。このため、砂鉄を加熱して溶かして,鉄塊を精製する特殊な製鉄技術が発達した。この独特の製鉄技術を「タタラ製鉄」と呼んだ。そして,このタタラ製鉄を行っていた人々を稲作農民たちは「山の民」として異人視し,「タタラ者」,「山内者」と呼んでいた。いうなれば,タタラ者は古代朝鮮から渡来してきた金属鋳造技術者集団の末裔なのだ。
実際,香春山には古い採銅所があって、今では閉山しているが,かつてはここで採取された銅から八幡宮の神鏡が作られていた。採銅所には「元宮八幡宮」がある。ここが本来のヤハタの宮があった場所と考えられる。香春山の一の岳は今ではセメント材料の石灰を採集するために半分にまで削り取られているが,その昔は<金属神の山>だった。
この秦氏の朝鮮風の習俗=原始八幡信仰が次第に日本化していって、応神八幡信仰、八幡大菩薩信仰、武神八幡信仰の順に変わっていったものと考えられる。
ttp://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatiman.htm
>養蚕
京都太秦に行ってごらんよ
養蚕・機織の技術にすぐれた秦氏ゆかりの神社です。
正式名称は、木島坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社。略して木島神社といいますが、本殿の向かって右側に祀られている養蚕神社に因み「蚕の社」の名前で知られています。
境内に元糺(もとただす)の池があます。池の中に鳥居を三つ組み合わせた三つ鳥居があります(写真)。なぜこのような形をしているのかは、わかっていません。残念ながら池の水は、涸れたままのようです。
【アクセス】京福電鉄嵐山線蚕ノ社駅または市バス蚕ノ社下車
これは メッセージ 31067 (hyugeru29 さん)への返信です.
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