大東亜会議、少し再現
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/28 20:10 投稿番号: [3065 / 85019]
すでに、「傀儡と断罪」されてしまったので、私は、個々の方の紹介をもっぱらといたしましょう。
これは、すべて大東亜会議当日の情景として、色々なところに記録が残されている内容の抄約です。
最初の東条英機は演説が面白くない(この際ですからご容赦。失礼いたします)ので、まずはあっさり割愛。会議は厳粛ながら、半面、アジアらしく、文句や愚痴も出て、結構日本側も大変だったようです。
61年前の、1943年11月5日から7日にかけて、東京で開かれました。
《中華民国代表》
汪兆銘は、長身、ハンサムで、にこやかな笑顔と柔らかい声で聴衆を魅了したそうです。役者でもありますね。
汪は孫文の大アジア主義を標榜する国民党の中心人物の一人で蒋介石政権と袂を分かち、新政府樹立を図ったが、その後は日本にも翻弄されました。重光葵の新政策により、少し元気でした。
「国父・孫(文)先生が日本に対し、切望致した中国をたすけ、不平等条約を廃棄するということも、既に実現せられたのであります。重慶(蒋介石政権)は他日必ずや、米英に依存することは東亜に反逆することとなり、同時に国父・孫先生に反逆することとなるべきを自覚し、将士及び民衆もことごとく翻然覚醒する日の到来することは必定たることを断言し得るのであります」
おや、この演説、今日の台湾、中国を見ると結構当たっておりますね。
この時が、悲劇の政治家・汪兆銘(この人も実は人気もありました)の数少ない栄光の頂点でした。翌年、汪兆銘は古傷の悪化で死去。その後は中国、朝鮮などの習わし通り、漢奸・売国漢とされました。しかし、親英米の蒋介石政権も、結局はソ連を後ろ盾とする共産党に追われ、台湾では2・28虐殺、大陸では毛沢東による不毛の政策と戦争政策により3,000万人以上と言われる犠牲者を出していく・・・・・
《タイ》
ピブン首相は、例の、仮病で欠席(いつも笑わせてくれますね)。
午前最後の演説は、タイのワンワイタヤコーン殿下。本来ならピブン首相が参加すべき所だが、健康上の理由で来日せず、その代理として駐英大使を務めたワンワイタヤコーン殿下が出席。
ピブンの病気というのは仮病で、日本の戦況が不利に傾きつつある状況の中で、このような会議に首相が参加して肩入れしては、日本敗北の際に自国の立場を悪くする。では、行かない、ということでしょう。開戦当初は、日本の威力を利用して、カンボジアやラオスから旧領土を取り戻したが、雲行きが怪しいので、まづは欠席したわけです。
しかし、殿下は出ているので、誰も文句は言えません。米英にも儀礼外交です、と言えますね。さすがです。
しかし、戦後、殿下は、国連議長(これも傀儡?)に就任した際には、日本の国連加盟に率先して協力し、反対する欧米中露を押し切り、これを実現にこぎ着けました。こういうところは実にタイを雄々しく感じるところで、私は大したものと思います。中国、朝鮮のようにまるで手のひらを返しているわけではないのです。今は別れるが、必ず助ける、いつまでも友達だよ、という感じで、なかなか泣かせますね。
《満州国》
午後は、満洲国総理・張景恵(当時72歳になっていました)の演説から。張は日露戦争前、満洲に南下して暴虐の限りを尽くしたロシア人を憎み嫌い、日露戦争が始まるとロシア軍の後方部隊を度々襲撃して、日本軍に協力した、愛国英雄といったところです。
「日本が来てから、面白くない人もいるだろうが、経済も発展し、人口も増えている。130万人以上もいた阿片中毒患者はほぼ消えた、児童教育も飛躍的に改善された」あたりが演説のおもしろいところですが、大したことはないので割愛。
しかし、私はこの方も好きですね。
満洲国の役人が、「日本人が実権を握っていて、どうにもならない、できない」とこぼすと、 「日本人ほど便利な民族はいないではないか。権威さえ与えておけば、安月給で夜中までよく働くよ」と言ったという人物です。
飄々としたところを持ち合わせておりました。
傀儡達もなかなかの人物ですが、
はてさて、傀儡ではない側の方々は、むしろどうも背景も、味方からの評価も、結果も芳しくない方が多いのは不思議ですね・・・・・・・・・
これは、すべて大東亜会議当日の情景として、色々なところに記録が残されている内容の抄約です。
最初の東条英機は演説が面白くない(この際ですからご容赦。失礼いたします)ので、まずはあっさり割愛。会議は厳粛ながら、半面、アジアらしく、文句や愚痴も出て、結構日本側も大変だったようです。
61年前の、1943年11月5日から7日にかけて、東京で開かれました。
《中華民国代表》
汪兆銘は、長身、ハンサムで、にこやかな笑顔と柔らかい声で聴衆を魅了したそうです。役者でもありますね。
汪は孫文の大アジア主義を標榜する国民党の中心人物の一人で蒋介石政権と袂を分かち、新政府樹立を図ったが、その後は日本にも翻弄されました。重光葵の新政策により、少し元気でした。
「国父・孫(文)先生が日本に対し、切望致した中国をたすけ、不平等条約を廃棄するということも、既に実現せられたのであります。重慶(蒋介石政権)は他日必ずや、米英に依存することは東亜に反逆することとなり、同時に国父・孫先生に反逆することとなるべきを自覚し、将士及び民衆もことごとく翻然覚醒する日の到来することは必定たることを断言し得るのであります」
おや、この演説、今日の台湾、中国を見ると結構当たっておりますね。
この時が、悲劇の政治家・汪兆銘(この人も実は人気もありました)の数少ない栄光の頂点でした。翌年、汪兆銘は古傷の悪化で死去。その後は中国、朝鮮などの習わし通り、漢奸・売国漢とされました。しかし、親英米の蒋介石政権も、結局はソ連を後ろ盾とする共産党に追われ、台湾では2・28虐殺、大陸では毛沢東による不毛の政策と戦争政策により3,000万人以上と言われる犠牲者を出していく・・・・・
《タイ》
ピブン首相は、例の、仮病で欠席(いつも笑わせてくれますね)。
午前最後の演説は、タイのワンワイタヤコーン殿下。本来ならピブン首相が参加すべき所だが、健康上の理由で来日せず、その代理として駐英大使を務めたワンワイタヤコーン殿下が出席。
ピブンの病気というのは仮病で、日本の戦況が不利に傾きつつある状況の中で、このような会議に首相が参加して肩入れしては、日本敗北の際に自国の立場を悪くする。では、行かない、ということでしょう。開戦当初は、日本の威力を利用して、カンボジアやラオスから旧領土を取り戻したが、雲行きが怪しいので、まづは欠席したわけです。
しかし、殿下は出ているので、誰も文句は言えません。米英にも儀礼外交です、と言えますね。さすがです。
しかし、戦後、殿下は、国連議長(これも傀儡?)に就任した際には、日本の国連加盟に率先して協力し、反対する欧米中露を押し切り、これを実現にこぎ着けました。こういうところは実にタイを雄々しく感じるところで、私は大したものと思います。中国、朝鮮のようにまるで手のひらを返しているわけではないのです。今は別れるが、必ず助ける、いつまでも友達だよ、という感じで、なかなか泣かせますね。
《満州国》
午後は、満洲国総理・張景恵(当時72歳になっていました)の演説から。張は日露戦争前、満洲に南下して暴虐の限りを尽くしたロシア人を憎み嫌い、日露戦争が始まるとロシア軍の後方部隊を度々襲撃して、日本軍に協力した、愛国英雄といったところです。
「日本が来てから、面白くない人もいるだろうが、経済も発展し、人口も増えている。130万人以上もいた阿片中毒患者はほぼ消えた、児童教育も飛躍的に改善された」あたりが演説のおもしろいところですが、大したことはないので割愛。
しかし、私はこの方も好きですね。
満洲国の役人が、「日本人が実権を握っていて、どうにもならない、できない」とこぼすと、 「日本人ほど便利な民族はいないではないか。権威さえ与えておけば、安月給で夜中までよく働くよ」と言ったという人物です。
飄々としたところを持ち合わせておりました。
傀儡達もなかなかの人物ですが、
はてさて、傀儡ではない側の方々は、むしろどうも背景も、味方からの評価も、結果も芳しくない方が多いのは不思議ですね・・・・・・・・・
これは メッセージ 3043 (anonebikasisugi さん)への返信です.
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