交際始末内探書(Re: 独島は韓国固有の…
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/05/12 23:17 投稿番号: [24447 / 85019]
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反証例 参考までに
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/sada.html
抜粋
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よりにもよって、何でこんなレベルの低い論証を引用するんでしょうか。
これじゃ、竹島=韓国領派に引導を渡すどころか、かえって勢い付かせてしまいますよ。
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松島については、
「松島は、竹島の隣島・・・。これまで掲載した書類もない」と書いている。
100km近く離れている現竹島を「隣島」と表記するはずがない。
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広大な日本海に竹島と松島しか無い状況を考えれば、「隣島」という表記もあり得ます。
「100km近く離れた島を隣島というだろうか」というのは正当な疑義ですが、だからといって「表記するはずがない」と断言してしまうのは、客観性を欠いた偏った判断です。
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佐田白茅が1870年の時点で、
今日の竹島を「朝鮮の付属に相成り候」と記していたなら、
朝鮮政府も当然、そのように認識していたはずである。
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竹島=独島について、日本は朝鮮領だと考える一方、朝鮮には自国領だという認識がなかったという可能性もあります。
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ところが、李奎遠が鬱陵島調査を行った1882年5月の時点でも、
朝鮮側が鬱陵島の属島と認識していたのは傍らにある小島(竹嶼)までであり、
今日の竹島には、その存在すら気づいていなかった。
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これは、その通りです。
ただ、それが日本が竹島=独島を朝鮮領と考えていなかった理由には、必ずしもなりません。
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それに、この報告の松島が今日の竹島であったとするならば、
佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。
なぜなら、今日の竹島を指す松島については「是迄掲載セシ書留」が、いくらでも存在しているからである。
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「朝鮮国交際始末内探書」は、佐田白茅が朝鮮の倭館で行なった調査の復命書ですから、「是迄掲載セシ書留モ無之」というのは、倭館にはそのような書留が無かったという意味かもしれません。(というか、そういう意味に取る方が普通だと思います)
ですから、この記述を理由に、報告の「松島」は竹島=独島ではないと断ずるのは、誤った論証です。
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また、勝海舟が1867年に編纂した「大日本国沿海略図」により
現竹島を「リエンコヲルトロツク」と表記しており、後半部分の記述と矛盾する。
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内容より日本語の問題になりますが、「後半部分」というのが何の後半部分がよく分からない書き方です。
おそらく、「内探書」の記述の後半部分、つまり「是迄掲載セシ書留モ無之」のことを指していて、「大日本国沿海略図」という書留があるのだから、この「松島」は竹島=独島ではない、と言いたいのだろうと想像しますが、一つ前の段落と同じことを言っているのですから、文頭に「また」という接続詞を置くのは変です。そんな言葉使いからも、この反論が非常にレベルの低いものであることを感じます。
で、「大日本国沿海略図」が存在するからといって、報告書の「松島」が竹島=独島でないとは言えないことは、上で述べた通りです。
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つまりここの松島は「現竹嶼」あるいは「松島・ホウリルロック」だと考えられる。
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その可能性が無いとは言いませんが、ここまでの論証だけでは到底納得できません。
反証例 参考までに
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/sada.html
抜粋
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よりにもよって、何でこんなレベルの低い論証を引用するんでしょうか。
これじゃ、竹島=韓国領派に引導を渡すどころか、かえって勢い付かせてしまいますよ。
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松島については、
「松島は、竹島の隣島・・・。これまで掲載した書類もない」と書いている。
100km近く離れている現竹島を「隣島」と表記するはずがない。
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広大な日本海に竹島と松島しか無い状況を考えれば、「隣島」という表記もあり得ます。
「100km近く離れた島を隣島というだろうか」というのは正当な疑義ですが、だからといって「表記するはずがない」と断言してしまうのは、客観性を欠いた偏った判断です。
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佐田白茅が1870年の時点で、
今日の竹島を「朝鮮の付属に相成り候」と記していたなら、
朝鮮政府も当然、そのように認識していたはずである。
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竹島=独島について、日本は朝鮮領だと考える一方、朝鮮には自国領だという認識がなかったという可能性もあります。
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ところが、李奎遠が鬱陵島調査を行った1882年5月の時点でも、
朝鮮側が鬱陵島の属島と認識していたのは傍らにある小島(竹嶼)までであり、
今日の竹島には、その存在すら気づいていなかった。
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これは、その通りです。
ただ、それが日本が竹島=独島を朝鮮領と考えていなかった理由には、必ずしもなりません。
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それに、この報告の松島が今日の竹島であったとするならば、
佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。
なぜなら、今日の竹島を指す松島については「是迄掲載セシ書留」が、いくらでも存在しているからである。
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「朝鮮国交際始末内探書」は、佐田白茅が朝鮮の倭館で行なった調査の復命書ですから、「是迄掲載セシ書留モ無之」というのは、倭館にはそのような書留が無かったという意味かもしれません。(というか、そういう意味に取る方が普通だと思います)
ですから、この記述を理由に、報告の「松島」は竹島=独島ではないと断ずるのは、誤った論証です。
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また、勝海舟が1867年に編纂した「大日本国沿海略図」により
現竹島を「リエンコヲルトロツク」と表記しており、後半部分の記述と矛盾する。
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内容より日本語の問題になりますが、「後半部分」というのが何の後半部分がよく分からない書き方です。
おそらく、「内探書」の記述の後半部分、つまり「是迄掲載セシ書留モ無之」のことを指していて、「大日本国沿海略図」という書留があるのだから、この「松島」は竹島=独島ではない、と言いたいのだろうと想像しますが、一つ前の段落と同じことを言っているのですから、文頭に「また」という接続詞を置くのは変です。そんな言葉使いからも、この反論が非常にレベルの低いものであることを感じます。
で、「大日本国沿海略図」が存在するからといって、報告書の「松島」が竹島=独島でないとは言えないことは、上で述べた通りです。
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つまりここの松島は「現竹嶼」あるいは「松島・ホウリルロック」だと考えられる。
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その可能性が無いとは言いませんが、ここまでの論証だけでは到底納得できません。
これは メッセージ 24381 (punzen_fun さん)への返信です.
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