歴史教科書公平を期すなら・私流のまとめ
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2006/02/06 20:54 投稿番号: [20597 / 85019]
私は、歴史に対して特別に詳しいというわけではありません。はっきり言って浅学の部類に入るでしょう。
先に私の立ち位置を明らかにすると、明治から大東亜戦争終結まで、一言で言えば、「日本近代化の結晶であり、また挫折でもあった」という見解をとります。
以下、縷々と拙論を展開させていただきます。
私はそれぞれの国にそれぞれの歴史教育があっていいと思うし、またそれが普通です。何度も申し上げていますが、共有してきたものが異なるのですから。アジア共通の歴史観などと息巻いている輩は、本来忌み嫌っているはずの皇国史観の焼きまわしでも企んでいるのでしょうか。
現在、日本を含めたアジア諸国では、どなたかも仰っていましたが、為政者の都合で『建て直し』と称し、自分勝手に解釈され、書き換えられ−まず譲歩して、そこまではいいのですが−、遺憾なことに外交の駆け引きに使われています。現在の視点で過去を振り返ると、当然、(敢えてこう表現しますが)侵略者=悪、被侵略者=善という子供でも分かる単純な構図ができあがり、極めて消極的な善である「被害者」という概念が、積極的に最高の善にまで高めてしまおうというある種の居直り史観が幅を利かせているようです。
しかし、歴史というものはそんな単純なモノではありません。個々の事例は他の方が詳細に説明されておるので省きますが、要は、侵略する方がはるかに苦悩を抱えていたという可能性もあるし、侵略される方が、世界史の流れに抗うよりも、なすがままで楽だったという可能性も捨てきれないのではないかということです。
これも何度か申し上げましたが、その時代の各国の人たちが、どういう価値観・道徳観のもとに生き、どこに希望を見出し、そして何に殉じたかを、視点をその時代に移し、考察することが必要ですし、過去からの継続性を意識しなければなりません。もっと言えば、その姿勢なしで歴史を語るのは歴史、そして先人に対する冒涜だとすら考えています。『歴史の建て直し』などと、しゃあしゃあとぬかす人たちは神様にでもなったつもりでしょうか。
今更言っても詮無きことですが、本来、外交の具に使われるべきでない歴史を、外国からの干渉の窓口にしてしまった、昭和57年の「教科書問題」における、(あえて名前は出さぬが)当事者たちがどんな利権がからんでいたのでしょうか、中共と南鮮の価値観に屈してしまったのが悔やまれてなりません。何事も最初が肝心ですから、ここで毅然とした態度をとっていれば、ここまでは騒ぎが大きくならなかったでしょう。
とにかく、自戒の意味も込めて
人間不在の歴史観に陥ってはいけないのです。
自分(自国)の都合だけで、歴史と付き合ってはいけないのです。
外交の材料として、カネを引き出すためのカードとして、そして安っぽい優越感に浸るためにあるのではないのです。
先に私の立ち位置を明らかにすると、明治から大東亜戦争終結まで、一言で言えば、「日本近代化の結晶であり、また挫折でもあった」という見解をとります。
以下、縷々と拙論を展開させていただきます。
私はそれぞれの国にそれぞれの歴史教育があっていいと思うし、またそれが普通です。何度も申し上げていますが、共有してきたものが異なるのですから。アジア共通の歴史観などと息巻いている輩は、本来忌み嫌っているはずの皇国史観の焼きまわしでも企んでいるのでしょうか。
現在、日本を含めたアジア諸国では、どなたかも仰っていましたが、為政者の都合で『建て直し』と称し、自分勝手に解釈され、書き換えられ−まず譲歩して、そこまではいいのですが−、遺憾なことに外交の駆け引きに使われています。現在の視点で過去を振り返ると、当然、(敢えてこう表現しますが)侵略者=悪、被侵略者=善という子供でも分かる単純な構図ができあがり、極めて消極的な善である「被害者」という概念が、積極的に最高の善にまで高めてしまおうというある種の居直り史観が幅を利かせているようです。
しかし、歴史というものはそんな単純なモノではありません。個々の事例は他の方が詳細に説明されておるので省きますが、要は、侵略する方がはるかに苦悩を抱えていたという可能性もあるし、侵略される方が、世界史の流れに抗うよりも、なすがままで楽だったという可能性も捨てきれないのではないかということです。
これも何度か申し上げましたが、その時代の各国の人たちが、どういう価値観・道徳観のもとに生き、どこに希望を見出し、そして何に殉じたかを、視点をその時代に移し、考察することが必要ですし、過去からの継続性を意識しなければなりません。もっと言えば、その姿勢なしで歴史を語るのは歴史、そして先人に対する冒涜だとすら考えています。『歴史の建て直し』などと、しゃあしゃあとぬかす人たちは神様にでもなったつもりでしょうか。
今更言っても詮無きことですが、本来、外交の具に使われるべきでない歴史を、外国からの干渉の窓口にしてしまった、昭和57年の「教科書問題」における、(あえて名前は出さぬが)当事者たちがどんな利権がからんでいたのでしょうか、中共と南鮮の価値観に屈してしまったのが悔やまれてなりません。何事も最初が肝心ですから、ここで毅然とした態度をとっていれば、ここまでは騒ぎが大きくならなかったでしょう。
とにかく、自戒の意味も込めて
人間不在の歴史観に陥ってはいけないのです。
自分(自国)の都合だけで、歴史と付き合ってはいけないのです。
外交の材料として、カネを引き出すためのカードとして、そして安っぽい優越感に浸るためにあるのではないのです。
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