福沢諭吉の時代から変化のない支那、朝鮮
投稿者: goodby_kahunshou 投稿日時: 2005/05/27 09:47 投稿番号: [11833 / 85019]
脱亜論
明治十八年三月十六日付『時事新報』
http://www.chukai.ne.jp/~masago/datuaron.html・・・・前略
例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人
は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺(わくでき)深くして科学の何ものた
るを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知
らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さん
こく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如(ごと)き、これらの事例を計
(かぞう)れば枚挙にいとまあらず。これを喩(たと)えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共
が、愚にして無法にして然(し)かも残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当
の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異(こと)ならず。その影響の事実に
現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云(い)
うべし。
されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの
猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、
朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接する
の風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心
に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり
これは メッセージ 11832 (bremenangelheart さん)への返信です.
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