おいおい、fujiusb!その文の結論は?
投稿者: bremenangelheart 投稿日時: 2005/05/09 20:05 投稿番号: [11097 / 85019]
これだろ?
省くなよな?
お前の言ってることと真逆だが????
そこは都合が悪いからごまかしたのか???
どうした???
①まず、関東軍の敢闘、善戦については、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(主な正面、最前線)満州東部と北東部からの侵攻を担当する第1極東方面軍(メレツコフ元帥)と第2極東方面軍(ブルカエフ上級大将)は、この方面に配置された関東軍の要塞・陣地に拠る守備隊の激しい抵抗を受け、容易に前進できなかった。
ようやくその間隙を突いて満州内部へ浸透したものの、今度は国境線の後方に位置していた関東軍の前方配置部隊の防御線によって阻まれることとなる。特に、牡丹江付近に布陣していた関東軍第1方面軍は、縦深陣地の突破を図ろうとする第1極東方面軍に対し、予備兵力を投入しつつ逆襲を繰り返し、終戦の日までソ連軍の進撃を押し止めることに成功した。
最終的に第1極東方面軍と第2極東方面軍は、難攻不落の関東軍拠点を後方に残しつつ100キロ以上前進したが、【開戦前の関東軍が最終防衛線と定めていた圖們―新京の線に達することは出来なかった】。
【独ソ戦で経験を積んだソ連軍の圧倒的な砲爆撃に晒されながら、有効な対戦車兵器を持たず訓練も行き届いていない関東軍部隊がこれだけ持久できたということは特筆に値する】のではないだろうか。
避難民のこともお前が言っていたこととは丸でちがうようだが????
②避難民の犠牲が多かったことの原因としては、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
在満邦人の大半が居住する新京以南地区により近いこの方面が【仮に突破されていたとするなら、居留民の犠牲は著しく増大していた】であろう。
その意味においても、(正面最前線)東部・北東部方面の【関東軍部隊は、寡兵ながら遅滞防御によってソ連軍の進撃をよく食い止め、立派に戦った】と言える。
それと共に、【ソ連は翌年4月に満州の管轄を国民党政府に移譲するまで日本人の帰国を一切認めず】、そのため【居留民は占領下の満州での越冬を余儀なくされた】こともあって、終戦後の在満邦人の犠牲者は13万5千人に達する。
また、ソ連軍と呼応して満州へ進駐した【中共軍(主として八路軍)も、「人民裁判」の名のもとに満州各地で日本人に対する虐殺を繰り広げた。】ソ連軍・中共軍の暴圧に苦しむ同胞の姿を見かねた関東軍将兵の一部は、終戦後も地下に潜っての抵抗活動を続けたが、それに対する【ソ連軍・中共軍の報復は凄惨を極め、特に通化では数千人の日本人が中共軍によって虐殺】された。関東軍将兵のシベリア抑留や後の残留孤児問題などと併せて、これらは皆1945年の【日ソ戦について考える上で決して避けて通ることのできない痛ましい出来事】である。
省くなよな?
お前の言ってることと真逆だが????
そこは都合が悪いからごまかしたのか???
どうした???
①まず、関東軍の敢闘、善戦については、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(主な正面、最前線)満州東部と北東部からの侵攻を担当する第1極東方面軍(メレツコフ元帥)と第2極東方面軍(ブルカエフ上級大将)は、この方面に配置された関東軍の要塞・陣地に拠る守備隊の激しい抵抗を受け、容易に前進できなかった。
ようやくその間隙を突いて満州内部へ浸透したものの、今度は国境線の後方に位置していた関東軍の前方配置部隊の防御線によって阻まれることとなる。特に、牡丹江付近に布陣していた関東軍第1方面軍は、縦深陣地の突破を図ろうとする第1極東方面軍に対し、予備兵力を投入しつつ逆襲を繰り返し、終戦の日までソ連軍の進撃を押し止めることに成功した。
最終的に第1極東方面軍と第2極東方面軍は、難攻不落の関東軍拠点を後方に残しつつ100キロ以上前進したが、【開戦前の関東軍が最終防衛線と定めていた圖們―新京の線に達することは出来なかった】。
【独ソ戦で経験を積んだソ連軍の圧倒的な砲爆撃に晒されながら、有効な対戦車兵器を持たず訓練も行き届いていない関東軍部隊がこれだけ持久できたということは特筆に値する】のではないだろうか。
避難民のこともお前が言っていたこととは丸でちがうようだが????
②避難民の犠牲が多かったことの原因としては、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
在満邦人の大半が居住する新京以南地区により近いこの方面が【仮に突破されていたとするなら、居留民の犠牲は著しく増大していた】であろう。
その意味においても、(正面最前線)東部・北東部方面の【関東軍部隊は、寡兵ながら遅滞防御によってソ連軍の進撃をよく食い止め、立派に戦った】と言える。
それと共に、【ソ連は翌年4月に満州の管轄を国民党政府に移譲するまで日本人の帰国を一切認めず】、そのため【居留民は占領下の満州での越冬を余儀なくされた】こともあって、終戦後の在満邦人の犠牲者は13万5千人に達する。
また、ソ連軍と呼応して満州へ進駐した【中共軍(主として八路軍)も、「人民裁判」の名のもとに満州各地で日本人に対する虐殺を繰り広げた。】ソ連軍・中共軍の暴圧に苦しむ同胞の姿を見かねた関東軍将兵の一部は、終戦後も地下に潜っての抵抗活動を続けたが、それに対する【ソ連軍・中共軍の報復は凄惨を極め、特に通化では数千人の日本人が中共軍によって虐殺】された。関東軍将兵のシベリア抑留や後の残留孤児問題などと併せて、これらは皆1945年の【日ソ戦について考える上で決して避けて通ることのできない痛ましい出来事】である。
これは メッセージ 11095 (fujiusb2005 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/11097.html