スーフィズム (2)
投稿者: josephine_g_4th 投稿日時: 2004/10/18 06:07 投稿番号: [281 / 3394]
めでぃすた活動日記 - インターネット放送局 めでぃすた: トルコ流学記5 トルコの寛容なるイスラム
http://mwr.mediacom.keio.ac.jp/medista/diary/archives/000114.html
トルコの寛容なるイスラム
・・・なぜ、98%がイスラム教を信仰すると言われるのに、トルコ人の中に、不可知論者(神がいるかどうかはわからない。いるかもしれないし、いないかもしれないと考える人)を多数見かけるのか。
またケマルジュと呼ばれるトルコ近代化の立役者アタテュルクを信奉するナショナリストは強くイスラム教を信仰しているようには思えない。イスタンブールを歩く女性の多くはベールをまとわず、露出度も高い。地方でもベールをまとわない女性は少な
くない。
(中略)・・・ トルコ民族は遠い昔に今のモンゴルや中央アジアあたりから流れてきたと言われて
います。
11世紀に大きな民族の移動があるのですが、セルジューク朝、そしてオスマン朝が建てられていきます。
西へ進むとともにイスラム教の需要は広がり、オスマン朝の最盛期16世紀の段階でアナトリアでは90%以上がイスラム教徒になっていたということです。(その時代にイスタンブールだけはイスラム化が50%にとどまっていたという事実はイスタンブールの多様性を示しているでしょう。)
彼らは急激にイスラム化したわけではなく、それは徐々に進みました。侵略から定住、通婚または商業活動の便益のために段々と改宗は進みました。
イスラム神秘主義と言われるスーフィーが果たした役割も過小評価できません。彼らは修行の旅をし、イスラム教を普及しました。
スーフィーがどういうものなのか多少理解を助けるために、ちょっと話がそれますが、パキスタンの話をします。
パキスタンのサーヒーサルワ‐ルという小さな都市で毎年3月にパキスタン中から人が集まり、スーフィーの祭りが催されます。
それは初めてパキスタンにイスラム教を伝えた聖人を祭っているということです。
ドラム奏者が和太鼓ほどの大きさのドラムをぶら下げ、激しくドラムを鳴らします。ドラムのリズムに身を任せ、頭を激しく振る人々。男も女もそろって踊ります。
年に一度、エネルギーを爆発させているようで、それは心なしか日本の祭りを思わせます。
要は祭りの楽しさ的な要素をスーフィーはイスラム教に取り込んでいった、またはその土地固有のシャーマニズム的な要素をイスラム教の信仰に結び付けていったとも言えるのではないでしょうか。
それは民衆にとって受け入れやすいものだったと思われます。
さて、トルコの話に戻ります。トルコでもスーフィーがトルコ民族のイスラム化に果たした影響は少なくないように思われます。
宮廷音楽家にスーフィーの音楽家がいたというだけでもその重要性がわかります。
スーフィーたちは、それまでの伝統や習俗をイスラム化していく。または、トルコ化したイスラムを形成していきます。
こうしてメブレヴィー・ベクタシュ・アーレヴィーというスーフィズムの宗派が生まれていきます。これらはトルコ化したイスラムの代表です。
(抜粋)
トルコって国の人々からも寛容さを感じます。
他者を認めたり、いいものは進んで取り入れたりする姿勢って、大切ですよね。
神とか自然への一体感、禅にも通じるところがあるのではないでしょうか?
なお、この記事は以下の部分も興味深く、面白いです。
http://mwr.mediacom.keio.ac.jp/medista/diary/archives/000114.html
トルコの寛容なるイスラム
・・・なぜ、98%がイスラム教を信仰すると言われるのに、トルコ人の中に、不可知論者(神がいるかどうかはわからない。いるかもしれないし、いないかもしれないと考える人)を多数見かけるのか。
またケマルジュと呼ばれるトルコ近代化の立役者アタテュルクを信奉するナショナリストは強くイスラム教を信仰しているようには思えない。イスタンブールを歩く女性の多くはベールをまとわず、露出度も高い。地方でもベールをまとわない女性は少な
くない。
(中略)・・・ トルコ民族は遠い昔に今のモンゴルや中央アジアあたりから流れてきたと言われて
います。
11世紀に大きな民族の移動があるのですが、セルジューク朝、そしてオスマン朝が建てられていきます。
西へ進むとともにイスラム教の需要は広がり、オスマン朝の最盛期16世紀の段階でアナトリアでは90%以上がイスラム教徒になっていたということです。(その時代にイスタンブールだけはイスラム化が50%にとどまっていたという事実はイスタンブールの多様性を示しているでしょう。)
彼らは急激にイスラム化したわけではなく、それは徐々に進みました。侵略から定住、通婚または商業活動の便益のために段々と改宗は進みました。
イスラム神秘主義と言われるスーフィーが果たした役割も過小評価できません。彼らは修行の旅をし、イスラム教を普及しました。
スーフィーがどういうものなのか多少理解を助けるために、ちょっと話がそれますが、パキスタンの話をします。
パキスタンのサーヒーサルワ‐ルという小さな都市で毎年3月にパキスタン中から人が集まり、スーフィーの祭りが催されます。
それは初めてパキスタンにイスラム教を伝えた聖人を祭っているということです。
ドラム奏者が和太鼓ほどの大きさのドラムをぶら下げ、激しくドラムを鳴らします。ドラムのリズムに身を任せ、頭を激しく振る人々。男も女もそろって踊ります。
年に一度、エネルギーを爆発させているようで、それは心なしか日本の祭りを思わせます。
要は祭りの楽しさ的な要素をスーフィーはイスラム教に取り込んでいった、またはその土地固有のシャーマニズム的な要素をイスラム教の信仰に結び付けていったとも言えるのではないでしょうか。
それは民衆にとって受け入れやすいものだったと思われます。
さて、トルコの話に戻ります。トルコでもスーフィーがトルコ民族のイスラム化に果たした影響は少なくないように思われます。
宮廷音楽家にスーフィーの音楽家がいたというだけでもその重要性がわかります。
スーフィーたちは、それまでの伝統や習俗をイスラム化していく。または、トルコ化したイスラムを形成していきます。
こうしてメブレヴィー・ベクタシュ・アーレヴィーというスーフィズムの宗派が生まれていきます。これらはトルコ化したイスラムの代表です。
(抜粋)
トルコって国の人々からも寛容さを感じます。
他者を認めたり、いいものは進んで取り入れたりする姿勢って、大切ですよね。
神とか自然への一体感、禅にも通じるところがあるのではないでしょうか?
なお、この記事は以下の部分も興味深く、面白いです。
これは メッセージ 280 (josephine_g_4th さん)への返信です.
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