Re: クジラやイルカを殺していけない理由
投稿者: youshixiancheng 投稿日時: 2010/03/17 10:42 投稿番号: [3704 / 3732]
あなたの意見に基本的に賛成です。
反「反捕鯨」・反「反いるか漁」の議論で頻出する反論、
「牛や豚は食べても良いが、鯨やイルカはなぜ食べてはいけないのか」
という意見ないし短絡的反応についての私の考えを纏めてみました。
それは日本文化・西洋文化の根柢にある宗教的な視点からの考察です。
日本人は明治まで(例外はあっても)牛は豚を食する習慣は有りませんでした。これは日本の精神的文化を育んだ大乗仏教の影響によるものです。
「不殺生」は第一の戒律であり、他者の生命を奪って何ら恥じるところのない生き方は「無明」の最たるものだったのです。
「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」(宮沢賢治)、肉食をしないのがホンマモノの仏教徒の生活だと言ったら言い過ぎでしょうか。
親鸞のように肉食妻帯していても、その事に対する罪の感覚を持たない人が仏教徒といえるでしょうか。菜食は、健康のためだけではなく、「不殺生」戒の実践でもあります。
そして仏教の見地からすれば、殺してはいけないのは人間だけではなく、すべての生きとし生けるものに及びます。いるか虐殺の光景を見ても、それを隠蔽して、日本の食文化を守れ等といって恥じない人を見ると、彼らは我等日本人の精神文化を形成した仏教を殺してしまったのだと観ぜざるを得ません。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教という宗教は、遊牧民のなかから生まれたものですから、肉食を正当化する宗教倫理をもっています。それは、動物を犠牲にして人間が自ら生かされているということにたいする宗教的な感謝の念が遊牧民の宗教の根幹にあるからです。キリストの死によって人間が生かされているというキリスト教の教義の根本には遊牧民のもつ生命への畏敬の感覚があります。キリストは「神の子羊」であり、その「血」を飲み「身体」を拝領することが聖餐式の中心になっています。この背景には、家畜である羊の死によって人間自身が生かされているのだという感覚があったからでしょう。
大事なことは、キリスト教でも仏教でも、生命の尊厳を大切にし、我々の生命が他の生命の犠牲によって成り立つという現実を直視し、そこから生命の尊厳を考えているのです。どちらの観点から見ても、「殺すなかれ」という戒律の持つ重みを真正面から受け止めるべきです。
これは メッセージ 3415 (discover_100 さん)への返信です.
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