中国海軍2隻 尖閣周辺海域に

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他人の家に不法侵入=gang stalker

投稿者: americanobotsuraku 投稿日時: 2012/09/27 01:25 投稿番号: [3921 / 4041]
会うなかれ   好きな人とは   別れが辛い   嫌いな人は   会うのが辛い(210)

○子供のためのダンマパダ

好きな友だちと
遊ぶと楽しい
嫌いな友だちと
遊ぶのは楽しくない

それならば友だちの
好き嫌いをなくせば
どんな友だちと遊んでも
いつも楽しいよ

○一口メモ

この言葉を聞いただけで仏教が嫌いになり、仏教から逃げ出す人が多いと思います。また仏教学者の中にもこの言葉に対して怒っている方もおられます。ではなぜブッダはこのようなことを述べられるのでしょうか。仏教の「愛」という言葉は「貪」とは同意語なのです。ですから、貪欲には欲愛の意味があります。そうと知れば、欲と怒りと愚かさをなくすように仰っておられるブッダにとっては当然のことを述べておられるのです。

では、この「愛」という言葉が今のように価値のある言葉として扱われることになってしまったのでしょうか。基本的には、愛=貪(欲)ですから、人間(生命)は欲のために、欲によって生きていますので、愛(欲)は大切なのです。欲を否定されるより、肯定される方が好きなのです。

また、キリスト教の影響もあると思います。それはキリスト以前の嫉妬の神に対して、愛を説くキリスト教に価値を置く思想が現れ、広がった影響のもあると思います。日本では江戸時代や明治時代にも愛欲を肯定する考え方はありましたが、主流ではなかったと思います。愛という言葉は非常に曖昧で、崇高な愛を説く時も、見返りを求めない愛などと条件を付けなければ、愛の意味が分からないのです。たとえば、ドラマに「私はこんなにお前を愛しているのに、なぜお前は私を愛さないのだ。」などと言うセリフがあります。なんという利己的なわがままな愛なのでしょうか。「愛」の本質は「欲」なのです。ですから仏教では「愛」という言葉を使わずにもっと正確に「慈悲喜捨」という言葉を使います。

ブッダはあえて、「愛する人に会うなかれ」と「愛する人を作らないように」と言う言葉を使ったのではないでしょうか。当時のインドでも、このように言われるのは抵抗があったと思います。しかし、世間の愛欲の世界に苦しみながらも、そのような生活に浸っている人々に喝(かつ)を入れたのでしょう。ですから、ブッダに帰依する人々は、改めてこの言葉の意味を考える必要があります。http://76263383.at.webry.info/201209/article_24.html
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