Re: 松井石根大将 大アジア主義の悲劇⑤
投稿者: senrigoma 投稿日時: 2010/12/21 09:21 投稿番号: [877 / 2332]
■5.部下を見捨てて逃亡した唐生智将軍■
南京を根拠とする中国軍は、再び、その付近に大軍を集めつつあり、江南地方全体の治安を維持するために、日本軍は南京攻略を決意した。
松井は、南京攻略を全軍に伝えるに際し、「南京は中国の首都である。これが攻略は世界的事件であるゆえに、慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども抗戦意思を失いたる者および一般官民に対しては、寛容慈悲の態度を取り、これを宣撫愛護せよ」と命じた。
特に松井は南京郊外にある孫文の慰霊廟、中山陵を戦火から守ることを厳命し、その保全に成功した。
12月9日に、松井は平和理に南京開城を願って、降伏勧告を行ったが、すでに蒋介石や他の将軍達は南京を脱出していた。南京防衛を命ぜられた唐生智将軍も、降伏勧告を無視して、12日、部下と民衆を置去りにしたまま逃亡した。
正規に降伏する機会も与えられず、見捨てられた将兵達は、パニックに陥って、城壁の前で大勢が折り重なって圧死したり、数千人の便衣兵が市民を殺してその衣服を奪い,難民区に紛れ込んだ。
南京ではドイツ人ラーベを委員長とする民間人有志による国際委員会が、安全地帯を設け、難民区としていた。ラーベは、日本軍に対して、「貴軍の砲兵隊が安全地帯を砲撃しなかった見事な遣り方に感謝するため、我々は筆をとっております。」と謝意を表明している。
しかし、清野戦術と便衣兵とで疲弊していた日本軍の一部に、「若干の暴行・略奪事件があった」と憲兵隊から聞かされた松井は、必要以外の部隊を城外に出させた。18日、中国軍将兵をもあわせ祀る慰霊祭を執り行い、「これが日中和平の基調であり、自分の奉ずる大アジア主義の精神である」と声涙くだる訓示を行った。
日本軍により治安が回復すると、民衆も続々と南京に戻り始め、屋台も出るなど、市はもとの活況を取り戻していった。12月24日から、1月6日まで続いた住民登録では、5万人の人口増加が記録されている。
これは メッセージ 876 (senrigoma さん)への返信です.
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