Re: 後戦最初にして唯一の”非常事態宣言”
投稿者: kusanagihakuryu 投稿日時: 2011/10/30 12:40 投稿番号: [774 / 1078]
1948年4月23日9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で、大阪府府知事との交渉を行うことになった。
12時30分、大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在だった)と朝鮮人代表者16人との交渉が始まった。交渉は合意には至らなかった。
15時、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中から、シュプレヒコールが起こった。50人余の青年が、行動隊を編成し、スクラムを組んで、大阪府庁前の阻止線を突破した。
15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も、大阪府庁に突入し、3階までの廊下を占拠した。副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って、脱出した。
17時ごろ、群集は知事室になだれ込んだ。それから、群集はドアや調度品を破壊した。
日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は、川上貫一衆議院議員とともに、知事室に駆けつけたが、どうにもできなかった。
夜、大阪城周辺の各所で、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人は、篝火を焚いた。
朝連は、川上貫一を代表として交渉の場を作ろうとしたが、アメリカ軍が到着した。さらに、武装警官も到着した。その後、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らは、武装警官隊と乱闘となった。在日朝鮮人1人が死亡し、在日朝鮮人20人が負傷した。警官31人が負傷した。179人が騒擾罪で検挙された。
4月25日、朝連や日本人約300人が、大阪南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求した。警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い、追い返した。
4月26日、朝連は、大阪東成区や旭区などで、朝鮮人学校弾圧反対人民大会を開催した。
午後、朝鮮人代表者と大阪府知事との間で再度交渉が行われた。
15時40分、別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と、大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示した。
在日朝鮮人1600人のデモ隊が、再び大阪府庁に向かった。デモ隊は、武装警官隊の阻止線で、投石を開始した。武装警官隊は、消防車に放水をさせ、デモ隊に突入した。警官隊はデモ隊に向けて拳銃で発砲した。在日朝鮮人金太一が死亡した。
検挙者は軍事裁判にかけられた。日本人9人と在日朝鮮人8人が、重労働4年以下の判決を受けた。
阪神教育闘争の指導者の一人であった朴柱範は、逮捕・投獄され、釈放された直後に死亡した。
事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。
12時30分、大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在だった)と朝鮮人代表者16人との交渉が始まった。交渉は合意には至らなかった。
15時、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中から、シュプレヒコールが起こった。50人余の青年が、行動隊を編成し、スクラムを組んで、大阪府庁前の阻止線を突破した。
15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も、大阪府庁に突入し、3階までの廊下を占拠した。副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って、脱出した。
17時ごろ、群集は知事室になだれ込んだ。それから、群集はドアや調度品を破壊した。
日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は、川上貫一衆議院議員とともに、知事室に駆けつけたが、どうにもできなかった。
夜、大阪城周辺の各所で、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人は、篝火を焚いた。
朝連は、川上貫一を代表として交渉の場を作ろうとしたが、アメリカ軍が到着した。さらに、武装警官も到着した。その後、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らは、武装警官隊と乱闘となった。在日朝鮮人1人が死亡し、在日朝鮮人20人が負傷した。警官31人が負傷した。179人が騒擾罪で検挙された。
4月25日、朝連や日本人約300人が、大阪南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求した。警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い、追い返した。
4月26日、朝連は、大阪東成区や旭区などで、朝鮮人学校弾圧反対人民大会を開催した。
午後、朝鮮人代表者と大阪府知事との間で再度交渉が行われた。
15時40分、別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と、大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示した。
在日朝鮮人1600人のデモ隊が、再び大阪府庁に向かった。デモ隊は、武装警官隊の阻止線で、投石を開始した。武装警官隊は、消防車に放水をさせ、デモ隊に突入した。警官隊はデモ隊に向けて拳銃で発砲した。在日朝鮮人金太一が死亡した。
検挙者は軍事裁判にかけられた。日本人9人と在日朝鮮人8人が、重労働4年以下の判決を受けた。
阪神教育闘争の指導者の一人であった朴柱範は、逮捕・投獄され、釈放された直後に死亡した。
事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。
これは メッセージ 773 (kusanagihakuryu さん)への返信です.
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