Re: 後戦最初にして唯一の”非常事態宣言”
投稿者: kusanagihakuryu 投稿日時: 2011/10/30 12:38 投稿番号: [773 / 1078]
当時の民族教育1947年(昭和22年)10月、連合国軍最高司令官総司令部総司令官ダグラス・マッカーサーは、日本政府に対して、「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令した。
このころ在日朝鮮人の子供たちは、日本内地の教育により、朝鮮語の読み書きが充分にできなかったため、日本各地で国語講習会が開催され、文字と言葉を知ったものが先生となり、在日朝鮮人の子供たちに朝鮮語を教えた。教材は独自に作成された。国語講習会は在日本朝鮮人連盟(略称は朝連)事務所や工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて開かれた。その後、国語講習会は朝鮮人学校に改組され、学校は全国に500数十校、生徒数は6万余人を数えた。
1948年1月24日、文部省学校局長は各都道府県知事に対して、「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という通達を出し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示した(朝鮮学校閉鎖令)。
同年1月27日、朝連は第13回中央委員会を開催し、朝鮮学校閉鎖令に対し反対を表明した。さらに、「三・一独立運動闘争記念日」に合わせて、民族教育を守る闘争を全国で展開するように訴えた。
大阪府と兵庫県ではこの通達に基づき、朝鮮学校の閉鎖を命じた。阪神地区では、朝連の宋性茢が闘争の指導に当たった。在日朝鮮人・金太一が闘争中に警官に射殺されている。
これは メッセージ 772 (kusanagihakuryu さん)への返信です.
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