鬱陵島&竹嶼と,独島を一緒くたにする韓国
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2012/10/09 04:01 投稿番号: [854 / 936]
《鬱陵島&竹嶼と竹島(独島)を一緒くたにし,混乱させる作戦の韓国…》
■おそらく韓国側が記者や有識者を買収するなどして書かせた記事。↓↓
●【竹島問題】「独島は明確な韓国領土」…スペイン紙が日本批判
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348634961/
↓↓
●竹嶼(チュクソ,竹島)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%B9%E5%B6%BC&oldid=43759677
↑↑前から言われていることだが,鬱陵島(うつりょうとう)の旧日本名は磯竹島(竹島)。
極近くに竹嶼(チュクソ,竹島)という小島が付随しているという認識は,現代の韓国でも一緒のはずだ。
わざと昔の日本の「竹島」=「鬱陵島&竹嶼」と,現在の独島(日本は鬱陵島=竹島の名前を利用し,リアンクール岩礁→竹島に置き換えて後に命名)を混乱させて広めて回っている様だ…。
●歴史を記録する韓国vs歴史を作る日本〜日本はなぜ数十年間もごり押し主張するのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1345276529/
↑↑「独島(ドクト)」って名前は,鬱陵島からかなり(約90km)離れた居住困難な岩礁(2ヶ)に,最近になって韓国側が付けた名前では?
于山国は鬱陵島の事を指しているだけであり,日本側の認識している名前の「竹島(鬱陵島)」は,現代でも「竹嶼(チュクソ,竹島)」として,極近くに付随して存在している。
(※あるいは江戸時代の昔から,鬱陵島に付随する竹嶼(チュクソ)という島と,90km離れ孤立した2ヶの岩礁の独島(韓国名)を取り違えていた…。名前と場所を,李氏朝鮮と江戸幕府と漁師や藩が相互に誤解して,混乱した論争を永遠と繰り返していたのかも知れない…。江戸時代の漁師は,鬱陵島を竹島,現在の竹嶼あるいは独島を松島とよんでいたらしい)
■中国や日本の史書には,倭人(日本人)は対馬や隠岐などの島々に大昔から点在して住んでいたとか,更には大陸に進出し,新羅などを属国にしていたとかいった記録が沢山残っている。
中国の「三国志(3世紀頃)」の昔から朝鮮半島に進出し,大陸人と交流していた倭人の子孫が日本人だ。
竹島(独島),更に鬱陵島(倭寇が住んでいたらしい)が,日本の領土であったとして何か変な点があるのだろうか?
逆に,日本は 韓国の逆ギレ外交の真似をして鬱陵島が韓国の土地ではない可能性を調べて,ヤンキー的に鬱陵島を日本領土主張する手もあるのでは?
(※鬱陵島は,元々は倭寇の住みかだとか,かつて于山国という別国家で別民族が住んでいたとか,新羅は日本の属国だったとか,明治維新まで誰も住んでいない「空島」だった…等々)
■李氏朝鮮時代は,太宗の政策(1403年,又は1417〜)で鬱陵島は空島だった。(居住してはいけない島として島民が住んでいなかった)
李朝は江戸幕府と同じ鎖国政策をとっていたが,開国は日本よりも遅く,
鬱陵島を自分達の土地だと認識して,ようやく役所をおき,人が住み始めたのは 1882年以降からである。
逆に日本は,古事記の時代には既に「隠岐島」などを自分達の国土と認識していた。(住民もずっと住んでいる。空島の鬱陵島にも勝手に渡っていたらしい)
基本的に大陸人は海が苦手。中国の手前にある台湾は,清王朝になるまで,倭人と同じ刺青風習のある原住民のものだったし,韓国の鬱陵島(于山国)や済州島(耽羅国)も,元々は別国扱い。高麗人とは違う別民族の住む島だった。
●好太王碑(広開土王碑,Wikipedia参照)…5世紀末頃
↑↑古代において,倭人は朝鮮半島に渡り高句麗と戦争をしていた。
●『宋書』夷蛮倭国伝…5世紀頃
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun7-sosho.htm
↑↑倭王は,古代中国の南朝の宗に朝貢し,朝鮮半島南部の国々(百済,新羅,任那,加羅,秦韓,慕韓など)の支配権を宣言して,それを認められていた。
●倭館
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%AD%E9%A4%A8&oldid=40623080
↑↑鎖国前の戦国時代は日本が朝鮮の貿易,商業を一手に担っていた。朝鮮側が自ら積極的に貿易を行っていた事実は無い。
せいぜい対馬を元寇の時に侵略したり,倭寇の本拠地として小舟集団で襲撃した程度のレベル。
■おそらく韓国側が記者や有識者を買収するなどして書かせた記事。↓↓
●【竹島問題】「独島は明確な韓国領土」…スペイン紙が日本批判
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348634961/
↓↓
●竹嶼(チュクソ,竹島)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%B9%E5%B6%BC&oldid=43759677
↑↑前から言われていることだが,鬱陵島(うつりょうとう)の旧日本名は磯竹島(竹島)。
極近くに竹嶼(チュクソ,竹島)という小島が付随しているという認識は,現代の韓国でも一緒のはずだ。
わざと昔の日本の「竹島」=「鬱陵島&竹嶼」と,現在の独島(日本は鬱陵島=竹島の名前を利用し,リアンクール岩礁→竹島に置き換えて後に命名)を混乱させて広めて回っている様だ…。
●歴史を記録する韓国vs歴史を作る日本〜日本はなぜ数十年間もごり押し主張するのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1345276529/
↑↑「独島(ドクト)」って名前は,鬱陵島からかなり(約90km)離れた居住困難な岩礁(2ヶ)に,最近になって韓国側が付けた名前では?
于山国は鬱陵島の事を指しているだけであり,日本側の認識している名前の「竹島(鬱陵島)」は,現代でも「竹嶼(チュクソ,竹島)」として,極近くに付随して存在している。
(※あるいは江戸時代の昔から,鬱陵島に付随する竹嶼(チュクソ)という島と,90km離れ孤立した2ヶの岩礁の独島(韓国名)を取り違えていた…。名前と場所を,李氏朝鮮と江戸幕府と漁師や藩が相互に誤解して,混乱した論争を永遠と繰り返していたのかも知れない…。江戸時代の漁師は,鬱陵島を竹島,現在の竹嶼あるいは独島を松島とよんでいたらしい)
■中国や日本の史書には,倭人(日本人)は対馬や隠岐などの島々に大昔から点在して住んでいたとか,更には大陸に進出し,新羅などを属国にしていたとかいった記録が沢山残っている。
中国の「三国志(3世紀頃)」の昔から朝鮮半島に進出し,大陸人と交流していた倭人の子孫が日本人だ。
竹島(独島),更に鬱陵島(倭寇が住んでいたらしい)が,日本の領土であったとして何か変な点があるのだろうか?
逆に,日本は 韓国の逆ギレ外交の真似をして鬱陵島が韓国の土地ではない可能性を調べて,ヤンキー的に鬱陵島を日本領土主張する手もあるのでは?
(※鬱陵島は,元々は倭寇の住みかだとか,かつて于山国という別国家で別民族が住んでいたとか,新羅は日本の属国だったとか,明治維新まで誰も住んでいない「空島」だった…等々)
■李氏朝鮮時代は,太宗の政策(1403年,又は1417〜)で鬱陵島は空島だった。(居住してはいけない島として島民が住んでいなかった)
李朝は江戸幕府と同じ鎖国政策をとっていたが,開国は日本よりも遅く,
鬱陵島を自分達の土地だと認識して,ようやく役所をおき,人が住み始めたのは 1882年以降からである。
逆に日本は,古事記の時代には既に「隠岐島」などを自分達の国土と認識していた。(住民もずっと住んでいる。空島の鬱陵島にも勝手に渡っていたらしい)
基本的に大陸人は海が苦手。中国の手前にある台湾は,清王朝になるまで,倭人と同じ刺青風習のある原住民のものだったし,韓国の鬱陵島(于山国)や済州島(耽羅国)も,元々は別国扱い。高麗人とは違う別民族の住む島だった。
●好太王碑(広開土王碑,Wikipedia参照)…5世紀末頃
↑↑古代において,倭人は朝鮮半島に渡り高句麗と戦争をしていた。
●『宋書』夷蛮倭国伝…5世紀頃
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun7-sosho.htm
↑↑倭王は,古代中国の南朝の宗に朝貢し,朝鮮半島南部の国々(百済,新羅,任那,加羅,秦韓,慕韓など)の支配権を宣言して,それを認められていた。
●倭館
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%AD%E9%A4%A8&oldid=40623080
↑↑鎖国前の戦国時代は日本が朝鮮の貿易,商業を一手に担っていた。朝鮮側が自ら積極的に貿易を行っていた事実は無い。
せいぜい対馬を元寇の時に侵略したり,倭寇の本拠地として小舟集団で襲撃した程度のレベル。
これは メッセージ 852 (algernon さん)への返信です.
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