大韓地誌&大韓全図
投稿者: haru2101n 投稿日時: 2010/02/27 21:17 投稿番号: [843 / 1266]
>1807年代に記された文献で300年以上も前の文献の内容を検証すること自体が間違いだって言ってるんだよ。
その理屈からすると古ければ古いほど信憑性の薄い文献になるわけだな?(爆)その屁理屈が通るなら古文書の記述内容を一切無視し、AよりBが古いから信憑性が薄いと単純に判断し、古文書による歴史検証自体が意味がない事になる。
>1807年記載の于山島が1400年代の文献に登場する于山島と同じ島だって証明がない限り
「日省録」の島の大きさの記述で十分証明されてるね。それとも何か?数百年単位で島の大きさが変わるとでも?地殻変動がない限りありえないね。(爆)
>また、日本に松嶋がいくつもあったり、竹島がいくつもあったりするように朝鮮国にも于山島が複数存在した可能性もある。
于山島が複数あるという事は、逆に「于山島=独島」と特定できない事になるね。(爆)となれば、尚更「日省録」の具体的な記述の意味が大きくなる。それにより「于山島=竹嶼」と解釈した方が妥当性がある。
>>で?証拠となる文献はどうした?
>おまえにはきおくりょくもけつらくしているのか?
はいはい!お前は口先だけで文献を貼って証明できないわけだな!
お前はすでに15世紀に独島を自国領という認識があったとしている。ならば、日本に併合される前の大韓帝国時代には明確に独島が自国領という認識があった!それで良いんだな?
そこで1899年、大韓帝国による地理書「大韓地誌」が出てくるが、これが問題なのは緯度経度で帝国の領土の範囲を示しているが鬱陵島そのものが入ってない。(苦笑)編纂に当たった者が十分に吟味せず日本人が記した書類を参考に緯度経度を記録したからだという。しかし、同書に添付された「大韓全図」には鬱陵島と于山島が描かれている。お前の理屈では古ければ古いほど信憑性は薄いなら、逆に新しければそれだけ信憑性が高くなるという理屈になるね。(笑)
よって、「大韓地誌」は辺境の島の緯度経度の間違いはあっても添付された地図には鬱陵島と竹嶼とみられる于山島が明確に描かれている。よって、この地図から明らかなのは、大韓帝国は独島=于山島という認識が無かった事は明らかだね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「大韓地誌」について(一部抜粋)
竹島を韓国領とする主張のなかに「これらはいずれも民間人が出した書籍で、国家の領有意識とはなんら関係がありません」との指摘がありますが、いずれの本も韓国で地理教科書として使用されていたこと、『大韓地誌』は、韓国政府の学部編輯局長・李圭桓の序文が付いた学部推薦図書であったこと、『大韓新地志』は学部の検定を受けたこと、などについて私どもは注目しています。
また、『大韓地誌』の巻頭には学部編輯局が刊行した『大韓全図』(1899年)が収録されています。この地図には、韓国側が独島と主張する「于山島」が、鬱陵島の東側に記されているものの(資料2)、その位置は鬱陵島に近接していることから、鬱陵島の東2kmに位置する竹嶼(竹島=チクトウ)であることが明らかです。さらに、『大韓地誌』所収の「江原道図」でも、鬱陵島の東側すぐ脇の島に「于山」と記されており(資料3)、この島は竹島ではないことが確認できます。
「于山」の位置関係は、同じく学部による『大韓輿地図』(1900年頃)でも同じです。このように、韓国政府が発行した地図に竹島は記されていません。こうしたことから、私どもは、韓国側は1905年以前に竹島を自国領として認識していなかったと考えております。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record_20070910.html
その理屈からすると古ければ古いほど信憑性の薄い文献になるわけだな?(爆)その屁理屈が通るなら古文書の記述内容を一切無視し、AよりBが古いから信憑性が薄いと単純に判断し、古文書による歴史検証自体が意味がない事になる。
>1807年記載の于山島が1400年代の文献に登場する于山島と同じ島だって証明がない限り
「日省録」の島の大きさの記述で十分証明されてるね。それとも何か?数百年単位で島の大きさが変わるとでも?地殻変動がない限りありえないね。(爆)
>また、日本に松嶋がいくつもあったり、竹島がいくつもあったりするように朝鮮国にも于山島が複数存在した可能性もある。
于山島が複数あるという事は、逆に「于山島=独島」と特定できない事になるね。(爆)となれば、尚更「日省録」の具体的な記述の意味が大きくなる。それにより「于山島=竹嶼」と解釈した方が妥当性がある。
>>で?証拠となる文献はどうした?
>おまえにはきおくりょくもけつらくしているのか?
はいはい!お前は口先だけで文献を貼って証明できないわけだな!
お前はすでに15世紀に独島を自国領という認識があったとしている。ならば、日本に併合される前の大韓帝国時代には明確に独島が自国領という認識があった!それで良いんだな?
そこで1899年、大韓帝国による地理書「大韓地誌」が出てくるが、これが問題なのは緯度経度で帝国の領土の範囲を示しているが鬱陵島そのものが入ってない。(苦笑)編纂に当たった者が十分に吟味せず日本人が記した書類を参考に緯度経度を記録したからだという。しかし、同書に添付された「大韓全図」には鬱陵島と于山島が描かれている。お前の理屈では古ければ古いほど信憑性は薄いなら、逆に新しければそれだけ信憑性が高くなるという理屈になるね。(笑)
よって、「大韓地誌」は辺境の島の緯度経度の間違いはあっても添付された地図には鬱陵島と竹嶼とみられる于山島が明確に描かれている。よって、この地図から明らかなのは、大韓帝国は独島=于山島という認識が無かった事は明らかだね。
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「大韓地誌」について(一部抜粋)
竹島を韓国領とする主張のなかに「これらはいずれも民間人が出した書籍で、国家の領有意識とはなんら関係がありません」との指摘がありますが、いずれの本も韓国で地理教科書として使用されていたこと、『大韓地誌』は、韓国政府の学部編輯局長・李圭桓の序文が付いた学部推薦図書であったこと、『大韓新地志』は学部の検定を受けたこと、などについて私どもは注目しています。
また、『大韓地誌』の巻頭には学部編輯局が刊行した『大韓全図』(1899年)が収録されています。この地図には、韓国側が独島と主張する「于山島」が、鬱陵島の東側に記されているものの(資料2)、その位置は鬱陵島に近接していることから、鬱陵島の東2kmに位置する竹嶼(竹島=チクトウ)であることが明らかです。さらに、『大韓地誌』所収の「江原道図」でも、鬱陵島の東側すぐ脇の島に「于山」と記されており(資料3)、この島は竹島ではないことが確認できます。
「于山」の位置関係は、同じく学部による『大韓輿地図』(1900年頃)でも同じです。このように、韓国政府が発行した地図に竹島は記されていません。こうしたことから、私どもは、韓国側は1905年以前に竹島を自国領として認識していなかったと考えております。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record_20070910.html
これは メッセージ 826 (h369jp さん)への返信です.
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