そろそろトドメを刺すか?嘘吐き在日くん!
投稿者: haru2101n 投稿日時: 2010/03/03 11:26 投稿番号: [1203 / 1266]
『世宗実録』地理志
江原道蔚珍縣(ウィキペディアより引用)
于山・武陵の二島は県の正に東の海の中に在る。二島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言い、百里四方ある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E7.BF.BB.E8.A8.B3_4
●正しい解釈は以下の通り!
于山(于山島=竹嶼)・武陵(鬱陵島)の二島は県の正に東の海の中に在る。二島はお互いにそれほど遠くなく、(県(内陸側)から鬱陵島は)天候が清明であれば望み見ることができる。←こう素直に読めば辻褄が合う。
お前の馬鹿なところは、全文を一つの場所(鬱陵島)から見たものと根拠なく解釈し、無理に繋ぐから、前後の文章の辻褄が合わないのだ。要するに「お互いに遠くなく」と「天候が清明であれば望み見ることができる」は別々の場所から見たと解釈する方が正しい。お前の解釈なら、互いにそれほど遠くないのに、なぜ天候が良い時だけ望み見えるんだ?(爆)〜繋いで解釈すると可笑しいだろ?
1、「世宗実録」の地理誌は、王朝から派遣された役人の見聞録だから、見聞場所が書かれてなければ、内陸側から辺境の島を記録したと解釈するのが妥当。(前に説明した蝦夷地の例に同じ)
2、内陸から鬱陵島の距離が約160キロ、「天候が清明であれば望み見ることができる。」〜それだけ距離があるのだから、その記述は妥当な表現。(笑)
3、そこでポイントになるのが「于山島=竹嶼」の証明。すでに「日省録」の記述から〜鬱陵島の北に于山島があり、周囲は二、三里(韓国里で八百−千二百メートル)、との内容を示す「北有于山島周回為二三里許」の記述。実際、鬱陵島周辺に該当する島は、南北七百メートルに及ぶ細長い竹嶼のみ。
http://asunaroojisan.blog113.fc2.com/blog-entry-1396.html
実際の竹島(独島)は、大きい方の西島でも、500メートル以内の大きさしかない。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=371430&l=131520
4、于山島には竹が自生していた。(竹島(独島)に竹は自生してない)
●『欝陵島図形』の于山島
于山島は鬱陵島の近傍に描かれているが、この地図に書かれた于山島は鬱陵島の東近傍に附属島のように描かれ、その中央には「海長竹田 所謂于山島」と記されている。海長竹は竹の種類で、田のように広く自生していることを示していると考えられている。鬱陵島の東近傍には、実際に「竹嶼」という古地図と同様南北に長い小島があって、多くの竹が自生しているため、この頃からこの島を于山島と呼んでいたと考えられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E7.BF.BB.E8.A8.B3_4
5、また古地図には、属島として鬱陵島のそばに東西の位置は違っても、常に于山島が描かれている。よって、「于山・武陵=于山島(竹嶼)・鬱陵島」と解釈するのが正しい!
6、では古地図で于山島はどう描かれているか?
●于山島の形状を検証する。
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/5.html
↑この検証から、「于山島=竹嶼」と解釈した方が正しい。それに比べ、実際の竹島は二島に分かれている島だから古地図と明らかに違う。
以上、1〜6までポイントを並べて書いてみたが、お前が「于山島=竹島(独島)」と解釈するなら、それ相応の検証が必要だぜ?恐らく、お前はこれまでの経緯から、否定だけで、その根拠を何も示せないだろう。よって、「于山島=竹島(独島)」という珍解釈は大惨敗だったね。(嘲笑)
于山・武陵の二島は県の正に東の海の中に在る。二島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言い、百里四方ある・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E7.BF.BB.E8.A8.B3_4
●正しい解釈は以下の通り!
于山(于山島=竹嶼)・武陵(鬱陵島)の二島は県の正に東の海の中に在る。二島はお互いにそれほど遠くなく、(県(内陸側)から鬱陵島は)天候が清明であれば望み見ることができる。←こう素直に読めば辻褄が合う。
お前の馬鹿なところは、全文を一つの場所(鬱陵島)から見たものと根拠なく解釈し、無理に繋ぐから、前後の文章の辻褄が合わないのだ。要するに「お互いに遠くなく」と「天候が清明であれば望み見ることができる」は別々の場所から見たと解釈する方が正しい。お前の解釈なら、互いにそれほど遠くないのに、なぜ天候が良い時だけ望み見えるんだ?(爆)〜繋いで解釈すると可笑しいだろ?
1、「世宗実録」の地理誌は、王朝から派遣された役人の見聞録だから、見聞場所が書かれてなければ、内陸側から辺境の島を記録したと解釈するのが妥当。(前に説明した蝦夷地の例に同じ)
2、内陸から鬱陵島の距離が約160キロ、「天候が清明であれば望み見ることができる。」〜それだけ距離があるのだから、その記述は妥当な表現。(笑)
3、そこでポイントになるのが「于山島=竹嶼」の証明。すでに「日省録」の記述から〜鬱陵島の北に于山島があり、周囲は二、三里(韓国里で八百−千二百メートル)、との内容を示す「北有于山島周回為二三里許」の記述。実際、鬱陵島周辺に該当する島は、南北七百メートルに及ぶ細長い竹嶼のみ。
http://asunaroojisan.blog113.fc2.com/blog-entry-1396.html
実際の竹島(独島)は、大きい方の西島でも、500メートル以内の大きさしかない。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=371430&l=131520
4、于山島には竹が自生していた。(竹島(独島)に竹は自生してない)
●『欝陵島図形』の于山島
于山島は鬱陵島の近傍に描かれているが、この地図に書かれた于山島は鬱陵島の東近傍に附属島のように描かれ、その中央には「海長竹田 所謂于山島」と記されている。海長竹は竹の種類で、田のように広く自生していることを示していると考えられている。鬱陵島の東近傍には、実際に「竹嶼」という古地図と同様南北に長い小島があって、多くの竹が自生しているため、この頃からこの島を于山島と呼んでいたと考えられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E7.BF.BB.E8.A8.B3_4
5、また古地図には、属島として鬱陵島のそばに東西の位置は違っても、常に于山島が描かれている。よって、「于山・武陵=于山島(竹嶼)・鬱陵島」と解釈するのが正しい!
6、では古地図で于山島はどう描かれているか?
●于山島の形状を検証する。
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/5.html
↑この検証から、「于山島=竹嶼」と解釈した方が正しい。それに比べ、実際の竹島は二島に分かれている島だから古地図と明らかに違う。
以上、1〜6までポイントを並べて書いてみたが、お前が「于山島=竹島(独島)」と解釈するなら、それ相応の検証が必要だぜ?恐らく、お前はこれまでの経緯から、否定だけで、その根拠を何も示せないだろう。よって、「于山島=竹島(独島)」という珍解釈は大惨敗だったね。(嘲笑)
これは メッセージ 1202 (h369jp さん)への返信です.
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