Re: 竹島に竹はありますか?
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2010/08/23 17:45 投稿番号: [48 / 2382]
これは、西洋人が島を発見して、名前を付けた時、地図の位置がまちがい、
修正されていく過程で、名前が入れ替わったんだよ。
元々、竹島という名は鬱陵島につけられていた。
明治の初期まで鬱陵島を竹島とよんでいた。
鬱陵島には竹があり、日本人がとっていた。
朝鮮から、この島は朝鮮のものだと言われ、幕府は渡航を禁止した。
一方、今の竹島は、元々松島と呼ばれていた。
松があるかどうかは知らないが。
1787年、フランス軍艦学校のLepaute Dageletが鬱陵島を発見しDageletと名付けた。
1789年、イギリスの探検家、James Colnettが同じく鬱陵島を発見し、Argonautと命名
このダジュレー島とアルゴノート島は、それぞれ違う緯度と経度だった為、
欧米の地図には2つの鬱陵島が描かれた。
シーボルトは日本地図を作製するときに、日本の諸文献や地図から、隠岐島と
朝鮮半島の間に、松島 (現・竹島) と竹島 (現・鬱陵島) があることを知る。
かつヨーロッパの地図には、日本寄りにダジュレー島、朝鮮寄りにアルゴノート島が
描かれていた事から、ダジュレー島を松島に、アルゴノート島を竹島として地図を作製。
本当の竹島 (旧・松島) は1849年で、フランス船、Liancourt号によって発見され、
この船の名前をとってリアンクール島と名づけられた。
1855年にはイギリスのホーネット号 (Hornet) が同島を見つけ、
その後イギリスでは、「Hornet Rocks」 という名称で表される。
1854年に、ロシア軍艦のパルラダ号が鬱陵島の位置を精測。
結果、アルゴノートの経緯度が不正確で、「現存せず」 と注記される。
1855年ウィルヘルム・ハイネは、シーボルトの図やその他の最新の知識を
加えて地図を作製。
北西部の第一島をアルゴノート、中央の第二島をダジュレーまたは松島、
南東部の第三島は島名を挙げずに、イギリス軍艦ホーネット1855年と記す
欧米の誤った地図が日本に逆輸入、勝海舟は大日本沿海略図を作製。
ここに出てくる 「リアンクール」 は現在の竹島 (旧・松島)。そして鬱陵島 (旧・竹島) が
「松島」 として誤って記入される。さらに島が現存しない場所に、「竹島」 という島名が見える。
1868年にジェームス・ワイルドが書いた地図には、アルゴノート、ダジュレー、
ホーネットの3島が描かれ、ダジュレー島には別名で松島と書かれている。
1876年、青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、
外務省に「松島開拓之議」を提出。ここでいう松島は、欧米系の誤った地図の鬱陵島を指す
J. Rittauが1880年に編纂した 「日本図」 では、アルゴノートは姿を消し、
ダジュレー島と、ホーネット・ロックスの両島のみとなる。
ダジュレー島は鬱陵島であるが、ここでは松島との誤った認識の基に描かれてる。
そしてホーネット・ロックスとはLiancourt、つまり松島のことである
こういう混乱から、鬱陵島が松島になってしまったため、
もともと松島と言っていた島が竹島にされてしまった。
まー、こういう、ややこしい過程があるんだけどね。
修正されていく過程で、名前が入れ替わったんだよ。
元々、竹島という名は鬱陵島につけられていた。
明治の初期まで鬱陵島を竹島とよんでいた。
鬱陵島には竹があり、日本人がとっていた。
朝鮮から、この島は朝鮮のものだと言われ、幕府は渡航を禁止した。
一方、今の竹島は、元々松島と呼ばれていた。
松があるかどうかは知らないが。
1787年、フランス軍艦学校のLepaute Dageletが鬱陵島を発見しDageletと名付けた。
1789年、イギリスの探検家、James Colnettが同じく鬱陵島を発見し、Argonautと命名
このダジュレー島とアルゴノート島は、それぞれ違う緯度と経度だった為、
欧米の地図には2つの鬱陵島が描かれた。
シーボルトは日本地図を作製するときに、日本の諸文献や地図から、隠岐島と
朝鮮半島の間に、松島 (現・竹島) と竹島 (現・鬱陵島) があることを知る。
かつヨーロッパの地図には、日本寄りにダジュレー島、朝鮮寄りにアルゴノート島が
描かれていた事から、ダジュレー島を松島に、アルゴノート島を竹島として地図を作製。
本当の竹島 (旧・松島) は1849年で、フランス船、Liancourt号によって発見され、
この船の名前をとってリアンクール島と名づけられた。
1855年にはイギリスのホーネット号 (Hornet) が同島を見つけ、
その後イギリスでは、「Hornet Rocks」 という名称で表される。
1854年に、ロシア軍艦のパルラダ号が鬱陵島の位置を精測。
結果、アルゴノートの経緯度が不正確で、「現存せず」 と注記される。
1855年ウィルヘルム・ハイネは、シーボルトの図やその他の最新の知識を
加えて地図を作製。
北西部の第一島をアルゴノート、中央の第二島をダジュレーまたは松島、
南東部の第三島は島名を挙げずに、イギリス軍艦ホーネット1855年と記す
欧米の誤った地図が日本に逆輸入、勝海舟は大日本沿海略図を作製。
ここに出てくる 「リアンクール」 は現在の竹島 (旧・松島)。そして鬱陵島 (旧・竹島) が
「松島」 として誤って記入される。さらに島が現存しない場所に、「竹島」 という島名が見える。
1868年にジェームス・ワイルドが書いた地図には、アルゴノート、ダジュレー、
ホーネットの3島が描かれ、ダジュレー島には別名で松島と書かれている。
1876年、青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、
外務省に「松島開拓之議」を提出。ここでいう松島は、欧米系の誤った地図の鬱陵島を指す
J. Rittauが1880年に編纂した 「日本図」 では、アルゴノートは姿を消し、
ダジュレー島と、ホーネット・ロックスの両島のみとなる。
ダジュレー島は鬱陵島であるが、ここでは松島との誤った認識の基に描かれてる。
そしてホーネット・ロックスとはLiancourt、つまり松島のことである
こういう混乱から、鬱陵島が松島になってしまったため、
もともと松島と言っていた島が竹島にされてしまった。
まー、こういう、ややこしい過程があるんだけどね。
これは メッセージ 29 (k9011523 さん)への返信です.
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