めだかさんへ
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/11 18:06 投稿番号: [2255 / 2382]
>>島同士が近いという解釈だと
結局島は二つあるってことになるよ。記述は「一説には于山と鬱陵は一島で」
>違うでしょ、島同士が近いから、一つの島と混同する説があるという意味でしょうが?
一つの島に二つの呼び名があるという意味なんですよ。あなた自身が貼り付けた資料の翻訳部分も「一説に于山と鬱陵は本来1つの島で、100里(約 40キロメートル)四方ある。」ってあるでしょ。それが正しい翻訳なんです。
韓国人も日本人も上記のように翻訳してますし、それ以外の翻訳は無理ですよ。
ちなみに高麗史では鬱陵島と独島は本来一島であるが、二島であるという説もあるよって 新筯東國輿地勝覽と違う記述となってます。
欝陵島 在縣正東海中 新羅時稱于山國 一云武陵 一云羽陵 地方百里 〜略〜 一云于山武陵本二島 相距不遠 風日清明 則可望見
鬱陵島は県のちょうど東の海にある。新羅のとき于山国と称した。一説に武陵や羽陵とも言われ、百里四方ある。 〜略〜 一説に于山と武陵は本来二島といわれ、お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
一島なのか、二島なのか、過去の歴史書では明確にされていなかったので、新筯東國輿地勝覽でも二島であるとしながらも、一島であるという説も紹介してあるんですよ。
>だから、それを混同と表現したのです。
二島が近ければ、鬱陵島探索へ派遣した役人たちが 于山島と鬱陵島を簡単に確認できるので一島説はありえません。 一島二呼称説ではどちらかが実在しない幻の島となるのですからね。
一島説と二島説が混在したのは二島が近いからではないのですよ♪ わかりますかぁ〜(^^)。
>実際は二島あるのに、一島という説があるという事は、それだけ島同士が近い事を示してます。
どんなに島同士が近くても陸続きじゃない以上、それは二島なんですよ。島同が近ければ一島説は生まれないの。新筯東國輿地勝覽が編纂される以前に、実際に役人が鬱陵島探索に派遣されてるんだからね。半島から目を凝らして見ていただけじゃないんだよ。ご理解いただけますかぁ〜?\(^o^)/
>もし、記述者が鬱陵島から見たとするなら、そのような表現になるわけないですね。
新筯東國輿地勝覽の「三峰岌●●空 南峯稍卑 風日清明 則峯頭樹木及山根沙渚 歴歴可見 風便則二日可到」という一文は半島から鬱陵島を見た状況だと私も思います。
今までこの一文を独島から鬱陵島を見たとか、鬱陵島から独島を見たなどと主張したこことはありませんよ。 でもね、そうであっても上記の記述が于山島と鬱陵島が一島と混同するくらい近いなんてことにはなり得ませ〜ん。
>貴方は、No2224では、どこから見た記述か分からないと言いながら、№2228では一転して、于山島が独島であると断言している。支離滅裂ですね。(失笑)その矛盾を合理的に反論願います。
どこが矛盾なのか それがわからないのですけど・・・。
>鬱陵島から独島を見たのかもしれないのですが そうとも限りません。鬱陵島と独島の間の海上から見たことかも知れません。
いずれにしても独島と鬱陵島のことが「二島相去不遠、風日清明、則可望見」と記述されているのですよ。
だからこそ于山島=独島と断言できるのです。上記のような位置関係にあるのは鬱陵島と独島以外にはないからね。
めだかさんが矛盾していると指摘していることが何なのか理解できませんが、上記のようなことですので どうぞご理解くださいませ。
何度か繰り返し読み返すと小学生でも理解できると思いますので どうぞよろしく!
>大分混同してますね。この私の文書のどこに独島から見たと書いてあります?妄想は貴方の方ですよ?(大笑)
№2251>では伺いますが、「世宗実録 地理志」には、どこにも独島(于山島)から見たという文字はありません。にもかかわらず、貴方は独島から見たと憶測したのでしょう?そういう自己矛盾に気が付かないとは?妄言にもほどがありますよ?(笑)
↑はい、あなたの文章で〜す\(^o^)/。 繰り返しますが 私が「独島から見たと憶測した」などと妄想は止めてくださいね。
>「一つの島と混同するくらい近い」ことを裏付けるように、様々な古地図では、于山島と鬱陵島は近くに描かれ、于山島は独島と違い一つの島として描かれている。それらをどう説明するのですか?
新筯東國輿地勝覽に添付された地図では于山島と鬱陵島ははっきり別々の島として描かれています。 その後に描かれた地図がどうであれ、新筯東國輿地勝覽の記述とは関係ありませ〜ん♪ ご理解いただけました?\(^o^)/
>違うでしょ、島同士が近いから、一つの島と混同する説があるという意味でしょうが?
一つの島に二つの呼び名があるという意味なんですよ。あなた自身が貼り付けた資料の翻訳部分も「一説に于山と鬱陵は本来1つの島で、100里(約 40キロメートル)四方ある。」ってあるでしょ。それが正しい翻訳なんです。
韓国人も日本人も上記のように翻訳してますし、それ以外の翻訳は無理ですよ。
ちなみに高麗史では鬱陵島と独島は本来一島であるが、二島であるという説もあるよって 新筯東國輿地勝覽と違う記述となってます。
欝陵島 在縣正東海中 新羅時稱于山國 一云武陵 一云羽陵 地方百里 〜略〜 一云于山武陵本二島 相距不遠 風日清明 則可望見
鬱陵島は県のちょうど東の海にある。新羅のとき于山国と称した。一説に武陵や羽陵とも言われ、百里四方ある。 〜略〜 一説に于山と武陵は本来二島といわれ、お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
一島なのか、二島なのか、過去の歴史書では明確にされていなかったので、新筯東國輿地勝覽でも二島であるとしながらも、一島であるという説も紹介してあるんですよ。
>だから、それを混同と表現したのです。
二島が近ければ、鬱陵島探索へ派遣した役人たちが 于山島と鬱陵島を簡単に確認できるので一島説はありえません。 一島二呼称説ではどちらかが実在しない幻の島となるのですからね。
一島説と二島説が混在したのは二島が近いからではないのですよ♪ わかりますかぁ〜(^^)。
>実際は二島あるのに、一島という説があるという事は、それだけ島同士が近い事を示してます。
どんなに島同士が近くても陸続きじゃない以上、それは二島なんですよ。島同が近ければ一島説は生まれないの。新筯東國輿地勝覽が編纂される以前に、実際に役人が鬱陵島探索に派遣されてるんだからね。半島から目を凝らして見ていただけじゃないんだよ。ご理解いただけますかぁ〜?\(^o^)/
>もし、記述者が鬱陵島から見たとするなら、そのような表現になるわけないですね。
新筯東國輿地勝覽の「三峰岌●●空 南峯稍卑 風日清明 則峯頭樹木及山根沙渚 歴歴可見 風便則二日可到」という一文は半島から鬱陵島を見た状況だと私も思います。
今までこの一文を独島から鬱陵島を見たとか、鬱陵島から独島を見たなどと主張したこことはありませんよ。 でもね、そうであっても上記の記述が于山島と鬱陵島が一島と混同するくらい近いなんてことにはなり得ませ〜ん。
>貴方は、No2224では、どこから見た記述か分からないと言いながら、№2228では一転して、于山島が独島であると断言している。支離滅裂ですね。(失笑)その矛盾を合理的に反論願います。
どこが矛盾なのか それがわからないのですけど・・・。
>鬱陵島から独島を見たのかもしれないのですが そうとも限りません。鬱陵島と独島の間の海上から見たことかも知れません。
いずれにしても独島と鬱陵島のことが「二島相去不遠、風日清明、則可望見」と記述されているのですよ。
だからこそ于山島=独島と断言できるのです。上記のような位置関係にあるのは鬱陵島と独島以外にはないからね。
めだかさんが矛盾していると指摘していることが何なのか理解できませんが、上記のようなことですので どうぞご理解くださいませ。
何度か繰り返し読み返すと小学生でも理解できると思いますので どうぞよろしく!
>大分混同してますね。この私の文書のどこに独島から見たと書いてあります?妄想は貴方の方ですよ?(大笑)
№2251>では伺いますが、「世宗実録 地理志」には、どこにも独島(于山島)から見たという文字はありません。にもかかわらず、貴方は独島から見たと憶測したのでしょう?そういう自己矛盾に気が付かないとは?妄言にもほどがありますよ?(笑)
↑はい、あなたの文章で〜す\(^o^)/。 繰り返しますが 私が「独島から見たと憶測した」などと妄想は止めてくださいね。
>「一つの島と混同するくらい近い」ことを裏付けるように、様々な古地図では、于山島と鬱陵島は近くに描かれ、于山島は独島と違い一つの島として描かれている。それらをどう説明するのですか?
新筯東國輿地勝覽に添付された地図では于山島と鬱陵島ははっきり別々の島として描かれています。 その後に描かれた地図がどうであれ、新筯東國輿地勝覽の記述とは関係ありませ〜ん♪ ご理解いただけました?\(^o^)/
これは メッセージ 2254 (azusa2008jp さん)への返信です.
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