竹島 韓国の主張覆す?古地図

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Re: 訂正:現実を直視しますと

投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/07 18:36 投稿番号: [2225 / 2382]
>それと回答が遅れてしまうこともあるだろう。1週間から2週間ぐらいは間があいてしまうかもしれないことを予めお断りしておく。

了解です。ゆっくり論議しましょう。

外務省のHPを読んでいると   どこから話を始めればいいのか迷うんですけど   とりあえず・・・「外務省HP竹島問題の概要2、竹島の領有」あたりから入りますか?

我が国は、江戸時代初めの17世紀初頭、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けて以降、両家は交替で毎年1回鬱陵島へ渡航し、あわびの採取やあしかの捕獲、そして竹などの樹木の伐採等に従事しました。この際、竹島は、鬱陵島に渡る船がかり及び魚採地として利用されており、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していました。

まず、江戸幕府が鬱陵島への渡海免許を出したのかどうかが疑問です。当時の江戸幕府には鬱陵島=竹島という認識が無く、大谷・村川両家が願い出た“渡海免許”なるものは鳥取藩に所属する島の経営独占権だという認識であり、手土産持参で願い出ているのだから   鳥取藩が認めているのであればいいんじゃないの   程度の認識だっと思います。

幕府に   米子の商人が鬱陵島への渡海免許を願い出ているのだという認識があるなら渡海免許は奉じられることはありません。

その根拠の一つは19世紀半ばに徳川幕府によって編纂された通航一覧の記述です。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/tukoichiran-1853/

元和六庚申年、宗對馬守義成、命によりて、竹島(朝鮮國屬島)に於て潜商のもの二人を捕へて京師に送る

江戸幕府は1620年の時点で鬱陵島が朝鮮国領であることを認識しており、だから宗對馬守義成に命じて密猟者を捕らえさせたのです。

通航一覧は19世紀半ばに編纂されたものですから、1620年の時点で密漁者として捕らえた二人がいた朝鮮国属島が   1618年に大谷らの漂着した島だという認識は無かったわけです。

結論として江戸幕府が1625年に「竹島渡海免許」を奉じたのは確かなことだが、幕府はその島がどこにあるのか理解せず、当然鬱陵島であるという認識もない状態で奉じたものであるので   江戸幕府の竹島領有の根拠にはなりえない。
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