三国志魏書東夷伝(3世紀頃)-記された倭国領
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2012/09/14 03:23 投稿番号: [348 / 385]
●竹島問題「日本よ,独島侵奪野心を中断して対馬を返還しろ」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1344445739/
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1343758094/
↑↑何を根拠に対馬を自国領土だと思っているのやら…。
対馬は,太古の昔「三国志魏書」東夷伝倭の条や「古事記」にも記されてあるれっきとした倭国領…日本政府は批判し,ちゃんと領土領海主張しようよ。
●古事記「国産み」
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9B%BD%E7%94%A3%E3%81%BF&oldid=43109741
●『三国志魏書』東夷伝倭条(魏志倭人伝)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm
倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑。舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國。
訳):倭人は帯方郡の東南の大海中に在り,山島に拠って邑落国家を為している。昔は百余国,漢代には朝見する者がおり,今は使訳が通じるのは三十国。
從郡至倭,循海岸水行,歴韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里。始度一海,千餘里至對馬國。
其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。所居絶島,方可四百餘里,土地山險,多深林,道路如禽鹿徑。有千餘戸,無良田,食海物自活,乖船南北市糴。
訳):帯方郡より倭に至るには,海岸に沿って水行,韓国を経て,南へ行ったり,東へ行ったりして,北岸の狗邪韓国に到ること七千余里。初めて一海を渡り,千余里で対馬国に至る。
そこの大官は卑狗,副は卑奴母離という。極めて険しい島に住み,四方は四百余里ほど。土地は山が険阻で,深い林が多く,道路は獣や鹿の小道。千余戸あり,良田は無く,海産物を食べて自活しており,船で南北の市に出かけて,穀物を買い求める。(※当時「鉄」が通貨の様に使われていたという記述もある)
訳):又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。方可三百里,多竹木叢林,有三千許家,差有田地,耕田猶不足食,亦南北市糴。
訳):また,南に一海を渡ること千余里,名を瀚海という,一大国に至る。官もまた卑狗,副は卑奴母離という。四方は三百里ほど。竹木の密林が多く,三千ほどの家があり,農地はあるが不足しており,耕作しても食べるには足らないので,また南北に穀物を買い求める。
…以下更に倭国の国々の紹介が続く。以下略。
卑弥呼(ひみこ)=日巫,日神子で,
卑奴母離(ひなもり)=日那護?日之守?日衛?
…役職名か?
卑弥呼(ひみこ)=アマテラス?
当時の倭国(邪馬台国)は,支配国の各島々に卑狗,卑奴母離(ひなもり)などの役職名の地方官僚を配置していた様だ。大陸からの侵略に備えていたのかも知れない。
●『三国志魏書』馬韓
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kudaragaisi/bakan-tsusi.htm
「三国志魏書」東夷伝には,倭の国は朝鮮半島の三韓(馬韓,辰韓,弁辰)と接しており,南の海はすぐ倭の領域。倭国に近いせいか全身刺青の人達がいるとか,朝鮮半島に鉄をとりに来ているという記述までもがある。
倭国は倭国として書かれおり,高句麗や三韓とは別扱いだ。
●『三国志魏書』高句麗伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-kokuri-1sangokusi.htm
韓国の史書『三国史記』によると,高麗の国のもとは,高句麗,百済,新羅の三国。高句麗,百済の更に祖先は夫余族とされる。鴨緑江,白頭山の以西以北(中国の遼寧,吉林,黒龍江省)が本来のすみからしい…。つまり,朝鮮半島発祥の民族ではなく,外来種なのが真相だ。
素朴な疑問だが…韓国の国名のもとになった『三韓』は,高句麗の分家の『百済』にのっとられ大昔に滅んだ。
で,今では人種も変わってしまって,高句麗人(夫余,貊,貉,穢)に一色に塗りかわってしまっているのでは?
滅んでしまった「三韓」があった地にある国と言えども「大韓民国」を名乗るのは変ではないだろうか?
三韓は倭国と接していた為に,倭人に近い風俗(刺青,養蚕,槍)の人達や,秦から逃げてきた中国人も住んでいたが,長い高麗支配の歴史の中で血が混ざりあい,種族も文化も滅んでしまったろう。
韓国も北朝鮮も,英語では,サウス コリア,ノース コリアだ。
コリア→『高麗』に戻すべきでは?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1344445739/
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1343758094/
↑↑何を根拠に対馬を自国領土だと思っているのやら…。
対馬は,太古の昔「三国志魏書」東夷伝倭の条や「古事記」にも記されてあるれっきとした倭国領…日本政府は批判し,ちゃんと領土領海主張しようよ。
●古事記「国産み」
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9B%BD%E7%94%A3%E3%81%BF&oldid=43109741
●『三国志魏書』東夷伝倭条(魏志倭人伝)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm
倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑。舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國。
訳):倭人は帯方郡の東南の大海中に在り,山島に拠って邑落国家を為している。昔は百余国,漢代には朝見する者がおり,今は使訳が通じるのは三十国。
從郡至倭,循海岸水行,歴韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里。始度一海,千餘里至對馬國。
其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。所居絶島,方可四百餘里,土地山險,多深林,道路如禽鹿徑。有千餘戸,無良田,食海物自活,乖船南北市糴。
訳):帯方郡より倭に至るには,海岸に沿って水行,韓国を経て,南へ行ったり,東へ行ったりして,北岸の狗邪韓国に到ること七千余里。初めて一海を渡り,千余里で対馬国に至る。
そこの大官は卑狗,副は卑奴母離という。極めて険しい島に住み,四方は四百余里ほど。土地は山が険阻で,深い林が多く,道路は獣や鹿の小道。千余戸あり,良田は無く,海産物を食べて自活しており,船で南北の市に出かけて,穀物を買い求める。(※当時「鉄」が通貨の様に使われていたという記述もある)
訳):又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。方可三百里,多竹木叢林,有三千許家,差有田地,耕田猶不足食,亦南北市糴。
訳):また,南に一海を渡ること千余里,名を瀚海という,一大国に至る。官もまた卑狗,副は卑奴母離という。四方は三百里ほど。竹木の密林が多く,三千ほどの家があり,農地はあるが不足しており,耕作しても食べるには足らないので,また南北に穀物を買い求める。
…以下更に倭国の国々の紹介が続く。以下略。
卑弥呼(ひみこ)=日巫,日神子で,
卑奴母離(ひなもり)=日那護?日之守?日衛?
…役職名か?
卑弥呼(ひみこ)=アマテラス?
当時の倭国(邪馬台国)は,支配国の各島々に卑狗,卑奴母離(ひなもり)などの役職名の地方官僚を配置していた様だ。大陸からの侵略に備えていたのかも知れない。
●『三国志魏書』馬韓
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kudaragaisi/bakan-tsusi.htm
「三国志魏書」東夷伝には,倭の国は朝鮮半島の三韓(馬韓,辰韓,弁辰)と接しており,南の海はすぐ倭の領域。倭国に近いせいか全身刺青の人達がいるとか,朝鮮半島に鉄をとりに来ているという記述までもがある。
倭国は倭国として書かれおり,高句麗や三韓とは別扱いだ。
●『三国志魏書』高句麗伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-kokuri-1sangokusi.htm
韓国の史書『三国史記』によると,高麗の国のもとは,高句麗,百済,新羅の三国。高句麗,百済の更に祖先は夫余族とされる。鴨緑江,白頭山の以西以北(中国の遼寧,吉林,黒龍江省)が本来のすみからしい…。つまり,朝鮮半島発祥の民族ではなく,外来種なのが真相だ。
素朴な疑問だが…韓国の国名のもとになった『三韓』は,高句麗の分家の『百済』にのっとられ大昔に滅んだ。
で,今では人種も変わってしまって,高句麗人(夫余,貊,貉,穢)に一色に塗りかわってしまっているのでは?
滅んでしまった「三韓」があった地にある国と言えども「大韓民国」を名乗るのは変ではないだろうか?
三韓は倭国と接していた為に,倭人に近い風俗(刺青,養蚕,槍)の人達や,秦から逃げてきた中国人も住んでいたが,長い高麗支配の歴史の中で血が混ざりあい,種族も文化も滅んでしまったろう。
韓国も北朝鮮も,英語では,サウス コリア,ノース コリアだ。
コリア→『高麗』に戻すべきでは?
これは メッセージ 1 (y_news_topics さん)への返信です.
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