近代戦争は公的レイプ 1
投稿者: tekuteko40 投稿日時: 2013/01/21 15:23 投稿番号: [2787 / 4475]
近代戦争はレイプでありSMプレイです。
戦争が男らしい勇敢な行為だったのは、もはや昔の話です。武士・騎士の時代では、戦争を決定する君主自らが戦場に赴き、身を危険にさらして兵と共に戦いました。これは実際、とても男らしい勇敢な行為です。ところが近代戦争では、戦争を決定する政治家は戦場へ行って兵と共に戦いません。戦わないどころか戦場に足を運ぼうとすらしません。兵たちが泥まみれになって戦う中、政治家たちは最も安全な場所に隠れて、何不自由ない快適な環境で温かい食事を口にして笑いながら戦闘指揮を執ります。尊敬に値しない臆病者の最低行為です。
武士・騎士の時代では、君主も泥まみれとなって戦場で勇敢に戦うので、一蓮托生、兵たちの間に君主への絶対忠誠、敬意が自然と沸き立ち、君主のために死ぬ事を厭わなくなります。ところが近代戦争では、政治家は偉そうな言動をするばかりで、自身、手を汚すことはせず、市民から平和な生活を無理やり奪い取り、子供たちから父親、母親を奪い取り、親たちから子供を奪い取って戦場へ送り込み、嫌がる者を無理やり戦わせます。これは強姦です。近代戦争は公的レイプであり、戦争を決定する政治家は「レイピスト」なのです。そして大勢の無実の市民を不幸に陥れるという点から言えば、本物の強姦魔よりもはるかに悪質で卑劣です。
自ら戦場へ赴かず戦争行為を好む政治家は「サディスト」でもあります。嫌いな国をいたぶる事で快楽を追い求め、国民の上に立って戦争を指揮することで「女王様」の優越感に浸ります。そしてひとたび戦争となれば、敵を苦しめるだけでは飽き足らず、「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵」と称して自国民まで苦しめて悦楽を堪能します。(政治家は贅沢の限りを尽くしますが)市民はムチ打たれて戦争強要され、戦場を知らない本国の政治家・軍上層部は、無為無策な場当たり的な軍令に終始するばかり。こうした不条理が生じ易い近代戦争においては、兵士は過度なストレスにさらされ、戦場や占領地ではサディスティックな感情が高まり易く、SMプレイよろしく占領民や敵捕虜を徹底的にいたぶる陵辱、虐待行為が横行します。
武士・騎士の時代では、君主は戦うことの苦しみ、戦の本義を肌身に感じて知っているので、自軍兵士のみならず敵兵をも厚遇し、正々堂々を旨として虐待や卑怯、卑劣な行為を禁じます。そもそも武士道、騎士道は人の道を説いているので、略奪、虐待、虐殺などの非道行為を絶対に許しません。非道行為に及んだ旧日本軍は武士道精神を理解せず、SM道をひた走ってしまったのです。
私たちは、源平合戦、戦国時代、幕末に魅入られます。それは時代の主役たちが、自ら進むべき道を決定し、自らが戦い、苦悩し、兵たちと涙して歴史を切り開く「生の生き方」をしているからです。ところが近代戦争の日清・日露では人間ドラマが希薄になるのか、語られるストーリーはなくなり、第二次大戦に至っては、戦場も占領地も本国も、醜悪極まりない惨たらしい惨状をさらすばかり。政治家・軍上層部が直接戦いに参加しない気軽さと無責任、敵を足蹴にしようとする強姦的快楽の追求が、戦争に惨たらしい醜態を作り出すのです。
数百年に渡る武士の時代に、「戦をやってはならぬ」という言葉は聞こえてきません。それは戦場に秩序があり、戦いに厳格なルールがあったからです。ところが汚らわしい強姦戦争を経験した方々は例外なくこう言います。「戦争は絶対にやってはいけない」
サディスト政治家が指揮を執る近代戦争では、国家対立発生当初から国民の間でサディスティックな空気が漂い、集団的精神分裂症が起こります。現在の日中対立がまさにそれです。これはレイピストに見られる、精神異常(異様な興奮、妄想、焦燥感、暴力性)と全く同じ症状です。ナショナリズムの高まりと言えば聞こえは良いですが、実体は「レイピズム」の高まりなのです。ですから「高まって興奮状態」にある者は皆、レイピストと同じ行動を取ります。暴走です。彼らの目を見れば一目瞭然、イっているのがわかります。強姦魔の目です。
戦争が男らしい勇敢な行為だったのは、もはや昔の話です。武士・騎士の時代では、戦争を決定する君主自らが戦場に赴き、身を危険にさらして兵と共に戦いました。これは実際、とても男らしい勇敢な行為です。ところが近代戦争では、戦争を決定する政治家は戦場へ行って兵と共に戦いません。戦わないどころか戦場に足を運ぼうとすらしません。兵たちが泥まみれになって戦う中、政治家たちは最も安全な場所に隠れて、何不自由ない快適な環境で温かい食事を口にして笑いながら戦闘指揮を執ります。尊敬に値しない臆病者の最低行為です。
武士・騎士の時代では、君主も泥まみれとなって戦場で勇敢に戦うので、一蓮托生、兵たちの間に君主への絶対忠誠、敬意が自然と沸き立ち、君主のために死ぬ事を厭わなくなります。ところが近代戦争では、政治家は偉そうな言動をするばかりで、自身、手を汚すことはせず、市民から平和な生活を無理やり奪い取り、子供たちから父親、母親を奪い取り、親たちから子供を奪い取って戦場へ送り込み、嫌がる者を無理やり戦わせます。これは強姦です。近代戦争は公的レイプであり、戦争を決定する政治家は「レイピスト」なのです。そして大勢の無実の市民を不幸に陥れるという点から言えば、本物の強姦魔よりもはるかに悪質で卑劣です。
自ら戦場へ赴かず戦争行為を好む政治家は「サディスト」でもあります。嫌いな国をいたぶる事で快楽を追い求め、国民の上に立って戦争を指揮することで「女王様」の優越感に浸ります。そしてひとたび戦争となれば、敵を苦しめるだけでは飽き足らず、「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵」と称して自国民まで苦しめて悦楽を堪能します。(政治家は贅沢の限りを尽くしますが)市民はムチ打たれて戦争強要され、戦場を知らない本国の政治家・軍上層部は、無為無策な場当たり的な軍令に終始するばかり。こうした不条理が生じ易い近代戦争においては、兵士は過度なストレスにさらされ、戦場や占領地ではサディスティックな感情が高まり易く、SMプレイよろしく占領民や敵捕虜を徹底的にいたぶる陵辱、虐待行為が横行します。
武士・騎士の時代では、君主は戦うことの苦しみ、戦の本義を肌身に感じて知っているので、自軍兵士のみならず敵兵をも厚遇し、正々堂々を旨として虐待や卑怯、卑劣な行為を禁じます。そもそも武士道、騎士道は人の道を説いているので、略奪、虐待、虐殺などの非道行為を絶対に許しません。非道行為に及んだ旧日本軍は武士道精神を理解せず、SM道をひた走ってしまったのです。
私たちは、源平合戦、戦国時代、幕末に魅入られます。それは時代の主役たちが、自ら進むべき道を決定し、自らが戦い、苦悩し、兵たちと涙して歴史を切り開く「生の生き方」をしているからです。ところが近代戦争の日清・日露では人間ドラマが希薄になるのか、語られるストーリーはなくなり、第二次大戦に至っては、戦場も占領地も本国も、醜悪極まりない惨たらしい惨状をさらすばかり。政治家・軍上層部が直接戦いに参加しない気軽さと無責任、敵を足蹴にしようとする強姦的快楽の追求が、戦争に惨たらしい醜態を作り出すのです。
数百年に渡る武士の時代に、「戦をやってはならぬ」という言葉は聞こえてきません。それは戦場に秩序があり、戦いに厳格なルールがあったからです。ところが汚らわしい強姦戦争を経験した方々は例外なくこう言います。「戦争は絶対にやってはいけない」
サディスト政治家が指揮を執る近代戦争では、国家対立発生当初から国民の間でサディスティックな空気が漂い、集団的精神分裂症が起こります。現在の日中対立がまさにそれです。これはレイピストに見られる、精神異常(異様な興奮、妄想、焦燥感、暴力性)と全く同じ症状です。ナショナリズムの高まりと言えば聞こえは良いですが、実体は「レイピズム」の高まりなのです。ですから「高まって興奮状態」にある者は皆、レイピストと同じ行動を取ります。暴走です。彼らの目を見れば一目瞭然、イっているのがわかります。強姦魔の目です。
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