Re: ◆各党の合従連衡・・・
投稿者: mendelmiracl2008 投稿日時: 2012/11/03 13:59 投稿番号: [1915 / 2282]
衆院選後、「たちあがれ日本(石原新党)」は自民党に吸収される。
(安倍総裁とみんなの党幹部の間柄)
渡辺喜美代表は第一次安倍内閣の内閣府特命担当大臣(2006.12.28ー2007.8.27)である。地方行革、公務員制度改革、地域活性化、道州制担当で、同総務大臣の菅義偉(現自民党幹事長代行)が地方分権担当であった。
第一次安倍内閣誕生の原動力となった再チャレンジ議連のメンバーには、みんなの党水野賢一幹事長代理、同山内康一副幹事長、日本維新の会国会議員団松浪健太幹事長らもいた。渡辺・水野・山内は福田内閣・麻生内閣の政策に失望し自民党を離党、みんなの党を結成。第一次安倍内閣が取り組んだ行政改革、地方分権等の政策は1年で頓挫し、自民党改革派は逼塞を余儀なくされたが、その理念は自民党脱党組(みんなの党)によって継承された。
(安倍総裁と日本維新の会幹部の間柄)
夏前だったか、大阪維新の会(当時)橋下代表と同松井幹事長が「安倍さんが大阪維新の会を率いてくれないかなぁ」と期待したことがあった。安倍晋三は「落選し苦闘している同志(自民党前国会議員の落選組)を見捨てて自民党を離党することはできない」と断った。それ以前、みんなの党渡辺喜美代表は「安倍さんは自民党を離党しないだろう」と語っていたから、おそらく、大阪維新の会から相談されていたのだろう。
【 周知の通り、大阪維新の会を立ち上げた橋下徹知事・松井一郎府議・浅田均府議ら(いずれも当時)は、第一次安倍内閣が改正した教育基本法や行政改革の実践に取り組んだ。大阪維新の会は、自民党大阪府連の中堅・若手の精鋭が自民党を離党し立ち上げたもので、この点でもみんなの党渡辺喜美・水野賢一・山内康一らと問題意識を共有している。安倍内閣は1年で頓挫、自民党に残った改革派は冬の時代を迎えたが、その一部が離党し、みんなの党と大阪維新の会を立ち上げた。官僚制の改廃に挑戦する政治家の敵は強大である。日本の官僚機構、既得権益層全体が襲いかかってくる。敵は座して死を待つことはなく、唯々諾々として無血開城することもない。綿密な作戦を立て、出城攻略の工程表をつくり、攻めすぎない用心深さが求められている。敵を大同団結させてはならない。 】
安倍晋三と大阪維新の会橋下代表、松井幹事長、浅田政調会長らのパイプ役は菅義偉(現幹事長代行)であった。もう一人、石原伸晃幹事長(当時)が橋下徹と頻繁に面談を繰り返した。当時、筆者は安倍晋三と大阪維新の会の連絡役かと推定したが、諸般の事情を勘案すると、「石原幹事長(当時)は都知事の代役として橋下徹代表と折衝していたのかもしれぬ」という疑念は残る。
周知の通り、大阪維新の会橋下徹代表に接近したのは自民党筋だけではない。それ以上に、民主党小沢一郎、前原誠司、原口一博らが橋下徹と頻繁に接触した。主流は民主党で、自民党は傍流であった。橋下徹流の遊泳術(権力者に擦り寄る)という感じであった。現在も、橋下徹の浮き草稼業的体質が変わった訳ではないが、大阪維新の会の組織が整備される中で、橋下代表、松井幹事長・浅田政調会長・東総務会長らによる合議体制が整ってきたのであろう。橋下徹代表の気分易変的な言動が少なくなった。維新の会幹部会の総意に基づく政策決定がなされるようになった。
(安倍総裁とみんなの党幹部の間柄)
渡辺喜美代表は第一次安倍内閣の内閣府特命担当大臣(2006.12.28ー2007.8.27)である。地方行革、公務員制度改革、地域活性化、道州制担当で、同総務大臣の菅義偉(現自民党幹事長代行)が地方分権担当であった。
第一次安倍内閣誕生の原動力となった再チャレンジ議連のメンバーには、みんなの党水野賢一幹事長代理、同山内康一副幹事長、日本維新の会国会議員団松浪健太幹事長らもいた。渡辺・水野・山内は福田内閣・麻生内閣の政策に失望し自民党を離党、みんなの党を結成。第一次安倍内閣が取り組んだ行政改革、地方分権等の政策は1年で頓挫し、自民党改革派は逼塞を余儀なくされたが、その理念は自民党脱党組(みんなの党)によって継承された。
(安倍総裁と日本維新の会幹部の間柄)
夏前だったか、大阪維新の会(当時)橋下代表と同松井幹事長が「安倍さんが大阪維新の会を率いてくれないかなぁ」と期待したことがあった。安倍晋三は「落選し苦闘している同志(自民党前国会議員の落選組)を見捨てて自民党を離党することはできない」と断った。それ以前、みんなの党渡辺喜美代表は「安倍さんは自民党を離党しないだろう」と語っていたから、おそらく、大阪維新の会から相談されていたのだろう。
【 周知の通り、大阪維新の会を立ち上げた橋下徹知事・松井一郎府議・浅田均府議ら(いずれも当時)は、第一次安倍内閣が改正した教育基本法や行政改革の実践に取り組んだ。大阪維新の会は、自民党大阪府連の中堅・若手の精鋭が自民党を離党し立ち上げたもので、この点でもみんなの党渡辺喜美・水野賢一・山内康一らと問題意識を共有している。安倍内閣は1年で頓挫、自民党に残った改革派は冬の時代を迎えたが、その一部が離党し、みんなの党と大阪維新の会を立ち上げた。官僚制の改廃に挑戦する政治家の敵は強大である。日本の官僚機構、既得権益層全体が襲いかかってくる。敵は座して死を待つことはなく、唯々諾々として無血開城することもない。綿密な作戦を立て、出城攻略の工程表をつくり、攻めすぎない用心深さが求められている。敵を大同団結させてはならない。 】
安倍晋三と大阪維新の会橋下代表、松井幹事長、浅田政調会長らのパイプ役は菅義偉(現幹事長代行)であった。もう一人、石原伸晃幹事長(当時)が橋下徹と頻繁に面談を繰り返した。当時、筆者は安倍晋三と大阪維新の会の連絡役かと推定したが、諸般の事情を勘案すると、「石原幹事長(当時)は都知事の代役として橋下徹代表と折衝していたのかもしれぬ」という疑念は残る。
周知の通り、大阪維新の会橋下徹代表に接近したのは自民党筋だけではない。それ以上に、民主党小沢一郎、前原誠司、原口一博らが橋下徹と頻繁に接触した。主流は民主党で、自民党は傍流であった。橋下徹流の遊泳術(権力者に擦り寄る)という感じであった。現在も、橋下徹の浮き草稼業的体質が変わった訳ではないが、大阪維新の会の組織が整備される中で、橋下代表、松井幹事長・浅田政調会長・東総務会長らによる合議体制が整ってきたのであろう。橋下徹代表の気分易変的な言動が少なくなった。維新の会幹部会の総意に基づく政策決定がなされるようになった。
これは メッセージ 1911 (men*elm*ra*l200* さん)への返信です.
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