Re: 何故に感謝状を公開しない
投稿者: kikyou31taka 投稿日時: 2012/04/18 19:03 投稿番号: [1742 / 7238]
調べてみました。土井たか子さんが、衆議院議長時代ではなく、党首であった頃のことですね……
拉致被害者が、社会党や土井たか子さんに恨みを言うのも、もっともだと思います。
辛光洙は1973年、能登半島から進入した北朝鮮スパイです。
彼は朴と共に、めぐみちゃんらを拉致し、その後、韓国で捕まりました。
ところが、1989年(平成元年)、韓国当局に対して釈放を求めるという要望書が、当時の日本社会党、公明党、社会民主連合からでたのです。
その時の党首が土井たか子さん。
また社会党は拉致被害者の家族が藁にも縋る思いで、助けを求めたのを、裏切ったようです。
(以下引用)
石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。 「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。
一方有本の両親は日本社会党委員長土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に相談。当初土井は有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまった。
このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。
安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた
以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。
後継者となった晋三はに亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。(国民の知らない反日の実態より抜粋)
……やっぱり、同じ日本人として、酷いと思います。
これは メッセージ 1622 (zasd2 さん)への返信です.
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