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Re: 日中には長い長い友好の歴史が。

投稿者: toto_yumenosuke 投稿日時: 2011/08/17 13:47 投稿番号: [2531 / 3422]
中国の史書で倭と呼ばれた人々は、史書により地域がかなりばらばら。

揚子江以南や時には海南島をさすと思える地域であったり朝鮮半島南部、日本列島であったりする。

一説によると倭は漁労に長けていて、魚を捕るのがうまく、水田稲作する人々をさすのだという。

水田稲作が長江流域で発達したことはもはや疑いない。
この長江文明を担った人々は、黄河文明圏の民族とは異なり、タイ語系の人々であったという。稲作は、黄河文明圏の畑作とはまったことなった技術であり、畑作と同様に種を水の張った水田にまいたら、籾は死滅してしまうので、いったん苗床に種籾をまいて発芽させ、苗を作り移植する。

この技術は畑作から直接発展したとは考えられず、東南アジアで行われている株分け栽培から発展したものであろうという。原初、稲も株分けで出発したのである。

長江文明は黄河文明と衝突して滅ぼされたが、稲作の技術を持った人々は、春秋戦国の越を建国し、呉越の戦いで呉に敗れると、各地に四散。中国南東部で百越と呼ばれる小さな国々を作り、一部は朝鮮半島南部や日本列島に渡ってきて稲作を始めた。これらの人々を中国の史書は倭と呼んだので、史書によって地域が異なったと考えられる。

倭は稲作と淡水漁撈を生業とする人々であった。米だけではタンパク質が足らなくなるので、水田に入り込む淡水魚をとっていた。

日本の水田と中国南部の水田、朝鮮半島の水田の雑草がよく似ている。水田の周りの雑草は地域によって異なるのだが、水田の中はよく似ているんだそうです。野クワイなど。これは倭と呼ばれた人々が、稲とともに他の作物も一緒に持ってきたからであろうと解釈されています。
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