営業用ガス抜きにもどうぞ
投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2003/05/27 17:01 投稿番号: [9120 / 28311]
朝日5月26日夕刊
論壇時評
藤原帰一
国民の安全:世論が「守って」と訴え
平和主義の根拠揺らぐ
−抜粋ー
平和論の柱の一つは、国家と社会を対立関係から見る視点である。国家は戦争を起こし、市民から平和を奪う存在ではないか。たとえば古関彰一は、安全保障を国家の専有物とする限りでは国民の国家への依存性が高まるばかりだ、それに代わる人間の安全保障を考えるときがきた、と主張している(論座6月号)。
でもそうだろうか。戦争の背後にある貧困や、戦争の生み出した難民に目を向けた安全保障を考えるべきだと言う指摘には、まず異論の余地がないだろう。だが、「人間の安全保障」は、必ずしも「国家安全保障」に代わるものとして議論されてきたとはいえない。市民の方が外敵から守ってくれるよう政府に求める時、国家安全保障と人間の安全保障が対立関係に立つとも限らない。何よりも、民主主義のもとでは、国民の安全を図ることは、政府の責任ではないのか…。そして、戦争直後の日本では、国家と社会は、現実にも対立関係に置かれていた。安全地帯から命令する指導者のおかげでひどい目にあわされたという思いが、政治家への、さらに国家への不信を生み、日本社会の平和意識を支えたからだ。社会に平和をもたらすどころか平和を奪ったため、国家が信用を失ったのである。
だが、今はそうとは限らない。「新しい歴史教科書をつくる会」について調査した上野陽子は、「右翼」のイメージとはまるで違った、自発的に市民が集まってつくりだした「市民運動」としての「つくる会」を描いている(癒しのナショナリズム・慶応出版会)。そこに見えるのは「朝日」(新聞)や「サヨク」(左翼)から「健全なナショナリズム」を守ろうと努める「サイレント保守市民」の姿である。民主主義の否定どころか、民主的な運動だ…。
杉田敦は、「今の日本の排外主義やポピュリズム的なリーダーへの期待は日本の後進性などには還元できない「『先進国』現象」であると述べ、ヨーロッパの移民制限運動や「ブッシュの戦争」を都知事選における石原慎太郎の高得票と並べつつ、自分の生活水準を守ろうとする「生活保守主義」が「治安主義と容易に結び付くのだと指摘している(世界6月号)。
これは、私などにはたいへん説得力のある分析だ。そして、もし杉田が当たっているとすれば、政府を批判するだけでは、イラク攻撃に対し、あるいは有事法制に対し意味のある議論をしたことにはならないだろう…。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.
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