騙し討ちインタビュー、謝罪で締めくくり2
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2003/01/29 00:07 投稿番号: [6800 / 28311]
●読売新聞による朝日の言い分
14日朝刊 朝日新聞広報部「週刊朝日編集部としては取材の承諾を得たものだと理解して記事にした。ご夫妻に【取材ではない】と話したことはありません。」
15日朝刊 朝日新聞社広報部「双方に認識の違いがあり、こちらの意向が伝わらなかったことに対し、謝罪」
16日朝刊 朝日新聞社広報部「取材の意図や記事化の時期を明確にお伝えしていないなど、取材に瑕疵がありました」
21日朝刊 謝罪文「地村さん夫妻が記事にすることを承諾していなかったのは明らか」、
「記者の対応は取材の基本的ルールを逸脱し、信義に反するもの」
内海紀雄・朝日新聞社専務(広報担当)「関係者を厳しく処分し、再発防止に努めます」
朝日では「迷惑を掛けた→取材に瑕疵→真義に反するもの」と3段階のエスカレートをとっています。第一段階においては、「迷惑を掛けた点」についてのみお詫びをしており、取材が悪質であったかどうかには触れていません。そのため、厳密には朝日の主張は15日のコメントから21日のコメントまで、無理はありますが、矛盾はありません。
読売では14日の段階で、週刊朝日の言い分を掲載しています。そのため、「了承を得たのだと理解→認識違い→取材に瑕疵→真義に反するもの」の4段階となっています。最初の「了承を得たものと理解」というのはあくまでも朝日の自分の頭の中の理解を述べたものであり、これ自身は間違いではありません。また、「取材ではない」と、その言葉を正確に言っていないと言う意味でこれも事実でした。朝日の記者は別の言葉で記事化を臭わしていたのです。ところが、14日の朝日広報部のコメントは21日のコメントと完全に矛盾しています。「取材の承諾を得たものだと理解」は「承諾していなかったのは明らか」と明らかに矛盾しています。また、「『いつか書く』と伝えた」ことで「【取材ではない】と話したことがない」から記事にした、と開き直るのは、盗人猛々しい開き直りにしか聞こえないと言うことも明らかでしょう。
重要なことは14日の朝日新聞の身内をかばう、広報部からの虚偽を含んだ言い訳コメントが、朝日読者に示されていない点です。朝日読者は、「朝日新聞は自分の非を認めてすぐに謝罪する気持ちのいい新聞だーーー!」と、朝日新聞をかばい続ける気持ちを持ち続けてくれることでしょう。
●朝日新聞による夫妻側言い分
14日朝刊 (記事なし)
15日朝刊 夫妻「世間話という約束だった」
16日朝刊 保さん「釈明文には納得できない」、「強引な取材だったことを謝罪するよう求めた」
21日朝刊 保さん「この謝罪文の内容で仕方なく了解」
●読売新聞による夫妻側言い分
14日朝刊 夫婦と雑談し、「記事にはしない」と約束したにもかかわらず、その内容を記事に
15日朝刊 保さん「(迷惑を掛けたとの謝罪に対し)真の謝罪とは受け止められない。今後は週刊朝日や朝日新聞を取材拒否したい」
16日朝刊 保さん「『認識の違い』では、謝ったことにならない」
21日朝刊 保さん「この謝罪文の内容で仕方なく了解」
読売を見ると、「朝日が約束を破った→朝日は悪くないが迷惑は謝るではダメ→認識の違いで謝るでもダメ→仕方なく了承」という一連の流れが見えます。しかし、朝日の一連の記事を読んでも保さんが何に怒っているのかよくわかりません。朝日を読む限り、保さんが朝日のどの点を具体的に問題視しているのかが情報としてそぎ落とされていました。そのため、保さんや地村夫妻が単に週刊朝日に絡んで、朝日が仕方なく自主的に、潔く謝ったような印象を受ける流れになっています。もちろん、取材拒否をちらつかされて、朝日が焦って謝ったことなど朝日読者は全く知ることができません。「地村一族は粘着なとんでもないやつらだーーーー!」と朝日の立場になって、読者は地村一族を見下せばいいのです。
謝罪、それは、美学です。せっかく謝るからには、かっこよく、読者に好感が持たれ、謝る相手が悪いがごとく印象づける必要があります。今回の朝日の読者は、取材のやりすぎに気づきながらも潔い朝日の謝罪に心地よさを感じたことでしょう。さあ、みんなもアジア諸国に謝罪をしましょう。
14日朝刊 朝日新聞広報部「週刊朝日編集部としては取材の承諾を得たものだと理解して記事にした。ご夫妻に【取材ではない】と話したことはありません。」
15日朝刊 朝日新聞社広報部「双方に認識の違いがあり、こちらの意向が伝わらなかったことに対し、謝罪」
16日朝刊 朝日新聞社広報部「取材の意図や記事化の時期を明確にお伝えしていないなど、取材に瑕疵がありました」
21日朝刊 謝罪文「地村さん夫妻が記事にすることを承諾していなかったのは明らか」、
「記者の対応は取材の基本的ルールを逸脱し、信義に反するもの」
内海紀雄・朝日新聞社専務(広報担当)「関係者を厳しく処分し、再発防止に努めます」
朝日では「迷惑を掛けた→取材に瑕疵→真義に反するもの」と3段階のエスカレートをとっています。第一段階においては、「迷惑を掛けた点」についてのみお詫びをしており、取材が悪質であったかどうかには触れていません。そのため、厳密には朝日の主張は15日のコメントから21日のコメントまで、無理はありますが、矛盾はありません。
読売では14日の段階で、週刊朝日の言い分を掲載しています。そのため、「了承を得たのだと理解→認識違い→取材に瑕疵→真義に反するもの」の4段階となっています。最初の「了承を得たものと理解」というのはあくまでも朝日の自分の頭の中の理解を述べたものであり、これ自身は間違いではありません。また、「取材ではない」と、その言葉を正確に言っていないと言う意味でこれも事実でした。朝日の記者は別の言葉で記事化を臭わしていたのです。ところが、14日の朝日広報部のコメントは21日のコメントと完全に矛盾しています。「取材の承諾を得たものだと理解」は「承諾していなかったのは明らか」と明らかに矛盾しています。また、「『いつか書く』と伝えた」ことで「【取材ではない】と話したことがない」から記事にした、と開き直るのは、盗人猛々しい開き直りにしか聞こえないと言うことも明らかでしょう。
重要なことは14日の朝日新聞の身内をかばう、広報部からの虚偽を含んだ言い訳コメントが、朝日読者に示されていない点です。朝日読者は、「朝日新聞は自分の非を認めてすぐに謝罪する気持ちのいい新聞だーーー!」と、朝日新聞をかばい続ける気持ちを持ち続けてくれることでしょう。
●朝日新聞による夫妻側言い分
14日朝刊 (記事なし)
15日朝刊 夫妻「世間話という約束だった」
16日朝刊 保さん「釈明文には納得できない」、「強引な取材だったことを謝罪するよう求めた」
21日朝刊 保さん「この謝罪文の内容で仕方なく了解」
●読売新聞による夫妻側言い分
14日朝刊 夫婦と雑談し、「記事にはしない」と約束したにもかかわらず、その内容を記事に
15日朝刊 保さん「(迷惑を掛けたとの謝罪に対し)真の謝罪とは受け止められない。今後は週刊朝日や朝日新聞を取材拒否したい」
16日朝刊 保さん「『認識の違い』では、謝ったことにならない」
21日朝刊 保さん「この謝罪文の内容で仕方なく了解」
読売を見ると、「朝日が約束を破った→朝日は悪くないが迷惑は謝るではダメ→認識の違いで謝るでもダメ→仕方なく了承」という一連の流れが見えます。しかし、朝日の一連の記事を読んでも保さんが何に怒っているのかよくわかりません。朝日を読む限り、保さんが朝日のどの点を具体的に問題視しているのかが情報としてそぎ落とされていました。そのため、保さんや地村夫妻が単に週刊朝日に絡んで、朝日が仕方なく自主的に、潔く謝ったような印象を受ける流れになっています。もちろん、取材拒否をちらつかされて、朝日が焦って謝ったことなど朝日読者は全く知ることができません。「地村一族は粘着なとんでもないやつらだーーーー!」と朝日の立場になって、読者は地村一族を見下せばいいのです。
謝罪、それは、美学です。せっかく謝るからには、かっこよく、読者に好感が持たれ、謝る相手が悪いがごとく印象づける必要があります。今回の朝日の読者は、取材のやりすぎに気づきながらも潔い朝日の謝罪に心地よさを感じたことでしょう。さあ、みんなもアジア諸国に謝罪をしましょう。
これは メッセージ 6799 (rykutukgi さん)への返信です.